みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2011年12月31日土曜日

1年、それはいろんなことができる時間かもしれない。

1年は終わってみれば早いと感じる。人生もそうなのかも知れない。
議員でもありまた職業柄、人と会う機会が多いことは確かだが、そういう中でもひとりの時間を作り、さまざまな関心事や物思いに耽る時を大事にしている。考え方や人生観を深めることが何をするにも大切と考えているからだ。
 映画鑑賞だけでもこれぐらいのことができた。1月頃のことはずっと過去のような気もする。
1年、それは結構いろんなことができる時間なのかもしれない。その積み重ねが人生だ。

「奇跡」「人生、ここにあり」「「GET LOUD」「ナッシュビル」「未来を生きる君たちへ」「チェルノブイリハート」「無常素描」「バビロンの陽光」「アイス・クリードの失踪」「水の惑星」「はやぶさ」「悲しみのミルク」「歓待」「ミラル」「神々と男たち」「一枚のハガキ」「ロックンロールは鳴り止まない」「あぜ道のダンデイー」「ソフイアの夜明け」「照和」「GONZO」「トスカーナの贋作」「しあわせの雨傘」「冷たい熱帯魚」「180度SOUTH」「海炭市叙景」「落語物語」「ソウル・キッチン」「ヘブンズストーリー」「ばかもの」「ANPO」「極悪レミー」「クレアモントホテル」「フェアウエル」「レオニー」「シングルマン」
以上シネマテーク高崎
「天国の日々」「100000年後の安全」「抵抗・レジスタンス」「スリ」「カルメン故郷に帰る」「喜劇大安旅行」「二十四の瞳」「モダン道中その恋待ったなし」「遠い雲」「特急にっぽん」「集金旅行」「歌う弥次喜多黄金道中」「喜びも悲しみも幾年月」「婚約三羽烏」「レイチェル・カーンの感性の森」「二重被爆」「東京物語」「我が家は楽し」「ひろしま」「むかしの歌」「白痴」「麦秋」「サクリファイス」「誓いの休暇」「僕の村は戦場だった」「炎628」「幸せの経済学」「女であること」「ヒバクシャ世界の終わりに」「ミツバチの羽音と地球の回転」「六ヶ所村ラプソデイー」「死刑台のエレベーター」「稲妻」「浮雲」「フランケンシュタイン」「黒い画集」「馬」「有がりたうさん」「社長太平記」「名もなく貧しく美しく」「按摩」「小三治」
  以上シネマまえばし
「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」「ゲゲゲの女房」「しあわせの隠れ場所」「シスタースマイル・ドミニクの歌」「終着駅(トルストイ最後の旅)」「カチンの森」「あまっちょろいラブソング」「白と黒」「妻の心」「首」「別れの曲・ショパン生誕200年記念」「善き人のためのソナタ」「ドレスデン運命の日」「ヒトラー最後の12日間」「グッバイレーニン」
 以上高崎映画祭

「ヒーローショウ」「川の底からこんにちは」
玉村町での自主企画上映

他に「天井桟敷の人々」「鉄道員」「大脱走」「戦場にかける橋」等をムービックス伊勢崎
「チェルノブイリハート」「100000年後の安心」「ひろしま」「二重被爆」は原発の危険性を今更ながらに思い知らせる作品。
また原発事故のこともあり鎌仲ひとみ監督の3部作「ヒバクシャ世界の終わりに」「六ヶ所村ラプソデイー」「ミツバチの羽音と地球の回転」は印象的だった。
これまでも反原発運動を地道に闘い抜いている人たちの存在と意義を知ることができた。原発を廃止することこそが今回の事故の教訓としなければならない。

正月から通ったのがシネマまえばし、「小三治」は元日に観た。
高峰秀子の作品を何作か観たがどれもよかった。
「馬」では馬の出産を見つめる家族の表情の豊かさに見とれた。また村人達が祭りの時、暗がりで踊ったあの踊りはなんとも不思議な魅力だった。今の盆踊りではなかった。当時、(戦前)の様子がうかがわれる価値ある映画だ。
伴淳三郎もただの役者ではない。「喜劇大安旅行」での機関士役は本物の迫力がある。蒸気機関車で勾配のある登り坂に挑むときの石炭入れ役との呼吸の合わせまで聞こえてきそうな迫真の演技だ。一方、家に帰れば、車掌の息子(フランキー堺)と同じ娘を好きになりどんでん返しをやってのける様はただの役者ではない。
「誓いの休暇」「僕の村は戦場だった」「炎628」は戦争物ソビエト映画、戦争がいかに日常生活をも破壊していく残忍この上ない犯罪行為であることを思い知ることのできる作品だ。
 そんな良質の作品を提供してくれたシネマまえばしが来年は休館となる。入居しているビルの改築工事のためだ。いずれ何とか再会して頂きたい。まずは小見さんに感謝。

高崎映画祭では,いつもは20作品ほど観ているが、県議選と重なり少なかった。それでも数えてみると15本。「ヒトラー最後の12日間」「首」「白と黒」「終着駅」などは機会をつくって観ることを進める。

今年最後の映画はシネマテーク高崎で今日観た「カンパニーメン」だ。映画館で志尾さんに短くご挨拶、1年ご苦労様でした。彼女はすでに来年の高崎映画祭に向け走り出している。

これほど映画を観るようになったのは茂木正夫さんの影響だ。土田君は私の1.5倍以上の映画を観ている。念のため。

1月のおすすめはなんといっても14日から上映される「エンデイングノート」だ。
人生を豊かにするため是非ご覧あれ。

2011年12月30日金曜日

瞬悠庵で後援会忘年会


 








いろんな事件、事故のあった1年だったが、そうであればこそ、よくぞ今日まで元気で生きてきたことを確認する意味でも大切な忘年会というひとときだった。
人間関係が希薄になっている社会だからこそ人間関係の濃さが必要だ。それぞれが違う日常を送りながらもこうして忘年会と形で集い語るなかに小さいながらも「力」を確認できる。
 秋山局長は別の所用で不参加だったが笑顔の電話があった。岡田さんの恒例のうどん打ちにみんなが舌鼓をうつ。
 貫井孝道町長の参加も恒例化し、翌月の町長選にかける強い決意を語る。仲間として支援したい。貫井さんの大晦日まで運動を続ける意気込みに圧倒された。
 国政では不安定な政治状況が続いているが、この町では地に足のついた着実な歩みを進める町政を維持したい。

2011年12月28日水曜日

田辺誠の証言録


昨日、自宅へ帰ると「田辺誠の証言録」(田辺誠著)と題する本が送られてきていた。副題は「55年体制政治と社会党の光と影」だ。
田辺さん本人はまだまだ元気なので本当に嬉しい。先日は角田義一さんを事務所に訪ね、話をさせてもらった。
 この二人の歩んだ道をもう一度点検する時が来るだろう。今の民主党は余りにお粗末、自民党の代用品みたいなもので、このままではやるせない思いは募るばかりだ。今日も10人程度、民主党から離党者が出たようだが、小さな政治が跋扈する昨今になってしまった。
 歴史の生き証人として書きつづった「田辺誠の証言録」は正月の読み物としよう。

2011年12月24日土曜日

イブは沢入国際サーカスの発表会、 クリスマスソングは「空がまた暗くなる」

みどり市にある沢入国際サーカス学校は廃校になった旧沢入小学校体育館を使用しているが、放射線量が高いことで一旦閉鎖することになった。海外からの人にとり現状の放射線量の高さはとても耐えられないのだろう。それは日本人にとっても同じことだ。もっと怒っていいんだ。
この間の脱原発デモに参加していた仲間がサーカス団員ということもあり、発表会を訪ねた。
いくら訓練してもとてもこのようなことはできないだろう技ばかりで驚かされた。
何人かの人と話したがみんなシャイなんだよねえ。
彼らの生きていく世界を守り、広げたい。










イブの歌は忌野清志郎と斉藤和義の歌
【空がまた暗くなる】
おとなだろう 勇気をだせよ
おとなだろう 知ってるはずさ
悲しいときも 涙なんか
誰にも 見せられない

おとなだろう 勇気をだせよ
おとなだろう 笑っていても
暗く曇ったこの空を
かくすことなどできない

ああ子供の頃のように
さあ勇気を出すのさ
きっと道に迷わずに
君の家にたどりつけるさ

おとなだろう 勇気をだせよ
おとなだろう 知ってることが
誰にも言えないことばかりじゃ
空がまた暗くなる

ああ子供の頃のように
さあ勇気を出すのさ
きっと道に迷わずに
君の家にたどりつけるさ

Yeah 勇気をだせよ
おとなだろ 知ってるはずさ
悲しいときも涙なんか
もう二度とは流せない

2011年12月23日金曜日

「コンクリートから人へ」はどこへ行った民主党

八ツ場ダム建設を中止するどころか「ダム建設の継続」となってしまった野田民主党。この財政危機の時、総額1兆円を越えてしまう不要なダム建設に再度アクセルを踏み込むとは、呆れかえった。現地はダム建設に不適な場所なのだ。だから59年間も完成できなかった。もし造ってしまえば30年後50年後を生きる人たちから「なんということをしてくれた」と恨まれることは間違いない。そのとき責任者は誰もいないのだ。つまり誰も責任を取らないということ。日本の政治はいい気なもんだぜ。
これは止められなかった原発と同じ構造だ。
 思い返せばこの2年間、あきれた政権運営ばかりだった。首相が三人も代わる。普天間基地の県外移設に失敗し、結局、辺野古へ逆戻り、子ども手当は無惨にも骨抜きになり、後期高齢者医療制度は廃止にならず、労働者派遣法の改正には手がつかず、郵政改正法案もダメ、高校授業料無償化については朝鮮高校を差別し適用除外、果ては頼みもしないTPPに参加表明し、消費税増税を今目論んでいる。また、武器輸出三原則の緩和で武器輸出を容認するときた。自民党ができなかったことを民主党が行っているだけではないか。誰に顔を向けて政治をしているのか。
 せめて八ツ場ダムくらいは中止できないと完敗だぜ。まあそうは期待していなかったがひどすぎる。
 末期的な自民党政治の中で「一度民主党に政権を任せてみよう」とした結果がこれだ。自民党がいいなどとは決して言わないが、これも小選挙区制という選挙制度がもたらしたものだ。
国民を不幸にするだけの選挙制度だ。

 この間の国政の閉塞感の中で増長してきたのが橋下徹率いる維新政党だ。
橋下の手法、論調はファシズムそのもの、明快な標的を敢えてつくり、世論を煽動し攻撃を仕掛て来る。方向性は、「維新」の名の通り体制内保守改革、中国や北朝鮮などがいい攻撃材料となり世論を煽動する政治になる。一方アメリにはそのいいなり。
 自民党や今の民主党政治の緩慢さに飽き足らない人々を煽る差別排外主義、このような手法で戦前、侵略戦争に走ったことを思い起こす必要がある。
橋下政治は1㌫が支配するの政治の極限的形態で、独裁的性格を帯びかなりの危険性を孕んでいることを見据える必要がある。
 99㌫が政治の主導権を握ることが何より肝心なことだ。

 これでは子ども相手にサンタになった方がいい。

2011年12月21日水曜日

金正日総書記の死去を悼んで朝鮮総連群馬県本部を弔問

17日朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記が逝去した。国交断絶状態の中での相手国指導者の死にどう向き合うべきか。
日本から近い国・共和国と国交がないこと自体が異常だ。日朝間の国交回復を追求するなら、敵対だけでいいはずがない。拉致事件を口実にことさら「経済制裁」に明け暮れ、「圧力一辺倒」外交で何が前進したというのか。何を生み出したというのか。懐疑と憎しみだけではないか。
外交の大局を見据えたキチンとした対応が全くできていない。
 在日朝鮮人が深い悲しみに沈んでいる時、金正日総書記への評価はともかく、彼らに慰めの声をかけるくらいのことすらできないほどの日本人に成り下がってしまったのか。
 拉致被害を声高に叫んでも、朝鮮植民地政策のなかでどれほど過酷な状況を朝鮮人に強いてきたか少しは反省する必要がある。
 日本には数十万人の在日朝鮮・韓国人が生活している。植民地政策の結果だということがすっかり抜け落ちているのではないだろうか。困ったものだ。
 今から始めるしかない。互いに対等な立場での信頼関係を築き上げることしかない。
 日朝国交回復から朝鮮半島の南北統一までを視野に入れようとしている者として、朝鮮総連群馬県本部を弔問した。

2011年12月19日月曜日

厳寒の玉村長選、貫井孝道事務所開き

貫井孝道町長の選挙事務所開きが行われ、この間、後援会活動を活発に繰り広げてきた多くの仲間たちが集い、1月22日の投票日に向け、この1ヶ月全力で戦い抜くことを誓い合った。
小林後援会長、浅見議会議長、井田県議、原商工会長、斉藤JA理事からの激励の挨拶の後、貫井孝道町長が、この8年の総括と今後の町政運営に対しての強い抱負を述べ、「寒い中、足が動かなくなるまで歩いて支持を訴え、信を問いたい」と述べた。

後援会活動の中、福島県樽葉町(原発から20㎞以内)から避難してきている83歳、84歳の老夫婦を受け入れている人の話を聴くことができた。
高齢でもあり入院しているという。国からは何の連絡もなく、樽葉町からは固定資産税の通知が来たくらいで他には何の連絡もないという。玉村町からは米を一度だけ町長が持って行き、7月の花火大会に招待されただけだそうだ。
 避難も長くなると受入れ家族にとっても重荷になってくる。町全体の震災避難者を把握し、町として厚い救済措置をとる必要があることを町長と話し合った。

 

連合群馬からの玉村町長選に対する支援活動が活発化してきている。まずはビラとポスターの組合員に対する徹底周知からだ。

事務所開きの後、支援議員で朝鮮飯店での団結懇親会、必勝を誓った。勝利のためには自ずから動く、ということに尽きる。

2011年12月18日日曜日

是枝裕和監督作品「奇跡」 シネマテーク高崎











【奇跡】
少年は坂を上る。息を切らしながら
旅を終え、それでもまだ走る
なぜ?
彼が少年だから。理由はそれだけで充分だ。

冒険は楽しかった?
いや、辛かった。でも冒険とはそういうものだ。

何かを失った?
失った。でも成長とはそういうものだ。

じゃあ、何かと出会った?
うん
何と?
世界と・・・
それは「奇跡」だね
自分ではよくわからない

だから奇跡なんだよ

家の屋根が見えてきた。もうすぐ坂が終わる。
            <是枝裕和>

離れて暮らす家族の絆を取り戻すため、奇跡を信じた子供たち。九州新幹線の一番列車がすれ違う瞬間に、彼らが見たものはー。


昨日から始まったシネマテーク高崎での「奇跡」上映。上映後は是枝監督も参加してのテイーチイン、1時間ほどだったが、その内容の深さにこの映画の意義が表わされている。
とにかく、是枝監督が主役の「まえだまえだ」に惚れ込んでいることがよくわかる。
 一年に5本くらいしか映画を観ない人が、この映画だけで18回目という猛者もいれば、一年に150本ほどの映画を観ている学生、この作品に日本文化を見てとる中国人留学生、是枝作品を本人以上に分析している人などの発言は、是枝裕和監督の影響の大きさを教えている。
 上映は12月23日まで。

 夜は藤岡市鬼石町にある老舗温泉での少人数での交流会。
是枝監督と温泉に行くのは、5年前に玉村町・県立女子大での「花よりもなほ」「誰も知らない」の上映会以来。あのときは赤城温泉で茂木正夫さんがいた。しかし、映画ヤクザの土田君がいれば話はどんどん進む。
 映画の話は言うに及ばす、3月11日の地震の時には渋谷の映画館で映画を観ていたとか、立川談志との関係まで話は尽きなかった。
 是枝裕和、知性、感性は勿論、洞察力の深さに合わせ謙虚さが備わっている希有な人、今49歳、これからの10年、20年に力勝負をして欲しい人だ。

2011年12月15日木曜日

来年3月11日震災1周年を期して、脱原発群馬・10000人集会を企てよう。

昨日、新聞各紙に玉村町議会の「脱原発の意見書」採択の記事が載ったためか、いろんな人からの問い合わせが相次いだ。どれも議会はよくやっているという内容だ。原発に危惧を抱いている人たちにとっては、大きな励ましになったようだ。小さな子どもを持っている人たちにとっては、他人ごとではない。勿論、大人たちにとってもそうだが。
 問題は、原発事故の本当の深刻さを正確に政府は伝えていないことだ。「収束作業の成果は大きく、停滞や被害は小さく」とまるで「大本営発表」だ。
 事実、「廃炉まで30年」と言ってきたが、今になって「40年」という言葉が出てきた。事故は地震ではなく津波によって引き起こされたなどと繰り返していたが、それもウソだったことがばれてきている。
 危険極まりない福島原発の事故収束の見通しが全く立たないなか、原発輸出などという政府は許せない。人道に反する行為だ。
 反原発のたたかいは長くなるが、師走の桐生デモをやり抜いた勢いで、来年3月11日には、群馬平和運動センターなど多くの市民団体、個人が連携し、高崎市で「脱原発10000人集会とデモ」を企画している。
 放射能は人を差別しない。思想や支持政党の違いなどにこだわっているときではない。団結して原発を止めること、その大きなうねりをつくり出したい。
 フクシマと連帯し福島市民と気持ちを同じにしてすべての原発を停止させ、廃炉にするための民衆運動をつくり出す必要がある。

 米紙タイムの「パーソン・オブ・ザ・イヤー」(今年の人)は「抗議者」だ。
昨年12月のチュニジアから始まった中東の民主化運動「アラブの春」は、エジプト、リビア、シリア等へと波及し、アメリカでは反格差社会デモとなり全米を席巻し、今、ロシアでも反プーチンの大衆デモとなり、事実、政権を倒したり、追いつめている。中国とてその例外ではない。
 「現在の世界の有り様」に対する「抗議」のうねりの高揚期、そういう歴史情勢に立ち会っていることを認識する必要がある。

2011年12月14日水曜日

来年1月の玉村町長選は貫井現町長を支援します。

来月22日投票の玉村町長選挙に関しては、すでに私の仲間は現職の貫井孝道さんの3選に向け走り出していますが、瞬悠庵で29日開かれる「石川まさお後援会臨時総会」で改めて「貫井町長支持と取り組みの強化」を確認する予定です。
 すでに連合群馬の支持をいただき、9日には群馬県教員組合からの推薦もいただいています。私は金井委員長と町長の話し合いにも同席し、玉村町の教育に向けた施策が高い評価を得ていることを知りました。この道を進むべきです。
 また、原発事故に伴い、その放射性物質から農業、産業、子どもたちを守るため、放射能測定器を役場に3個、各学校に1個そして給食センターにも配膳間際に測定できる測定器を配置し、安全・安心な教育環境を整える態勢に務めています。
 閉塞感に満ちた今だからこそ、将来を見据えた落ち着きのある行政が求められています。

2011年12月11日日曜日

脱原発・師走の桐生デモを敢行

原発なくてもエエジャナイカ大行進、今年は高崎市内デモ2回と前橋市内デモ1回そして最後は今日の桐生師走デモだ。
 角倉県議と「ちゃかぽこ洞」のお目当てのカレーを食べながらの雑談。「とうとう桐生デモまで来ちゃったね。」
 庭山由紀桐生市議のアジ、エレキギターと太鼓の激しい音楽に勢いをつけて街頭に飛び出した。総勢200人余だろうか。どこでやっても新しい顔ぶれがたくさんある。すれ違う対向車からも多くの人が手を振っている。路上は一時解放区状態。
 デモ終了後は南條幸司さん夫妻のミニコンサート、これが最高にご機嫌。
 また、来年1月14日、15日の2日間、パシフィコ横浜で開かれる「脱原発世界会議」には「原発とめよう・群馬」として正式参加する。藤岡の女性グループが楽しい企画を提供する予定だ。
 参加した沢入国際サーカス学校の仲間によると、練習場周辺の放射線物質の高さを心配してサーカス学校も近々閉鎖することになるという。なんと言うことだ。原発はやはりぶっ止めなきゃ、という思いが募る。
なおサーカス学校の前期発表会が12月23日(金)、24日(土)いずれも午後2時から行われる。楽しいぞ。
場所は旧沢入小学校体育館(みどり市東町沢入491)問い合わせ0277.70.5010



2011年12月10日土曜日

玉村町議会、政府への「脱原発の意見書」提出を決議

9日、玉村町議会最終日、下記のような脱原発の意見書を全会一致で採択した。なかなか難しいかな、とも思っていたが、ちょっとした作戦で流れをつくっていったつもりだ。

玉村町議会の場合、委員会審議の前に一般質問が行われる。
 そのため、一般質問を「原発事故情勢下での安全・安心な暮らしのための施策を問う」として、原発事故の先の見えない収束状況、内部被曝と外部被曝の違いと長期にわたる特に子どもたちに与える影響、チェルノブイリ事故でどんなことが起こったか、福島で起きている問題はこの町にも無関係ではない、放射性物質の混じった汚泥は事故原発の石棺用資材として使え、事故がなくても放射性廃棄物の処理が不可能なまま進めてきた原子力政策の無責任性などを質問に入れた。
 議場内にいるすべての人が受け入れやすいように、知識のひけらかしとして反発のないよう気を使いながら質問した。
思いは福島の人たちに連帯して脱原発の声を上げようということ。
 他に3人の議員が放射性物質に関して質問をするなど原発事故に関心が高い状況も手伝って一気に採択した。

【原子力発電を廃止し安全で再生可能なエネルギーへの転換を求める意見書】

平成23年3月11日に発生した東日本大震災により、東京電力福島第一原子力発電所が事故を起こしました。この事故により、東日本とその周辺広範囲で放射性物質が検出されています。群馬県でも文部科学省と合同調査を行い、山間部で平常時より比較的高く、平野部ではそれより低め、と公表しています。また、玉村町をはじめ、各自治体や民間団体でも線量測定を行っています。玉村町内の子供をもつ家庭では、放射線被害を心配して、今後の子供の健康に不安を抱いている家族が多くあります。群馬県では、年内に放射能の専門家による有識者会議を設置し、子供の甲状腺検査実施にむけた検討をしています。
放射性物質に汚染された土壌の除染で、土をはぎ取るなどして発生する汚染土壌の量は、“東京ドーム23杯分”と試算されています。その中間貯蔵を30年以内とし、その後最終処分を完了させる、との工程表を示しています。しかし、福島県内では汚染された土壌の処理に困っている状況に加えて、農産物・畜産物の被害も多く出ています。それらの費用を国が負担して下さい。
原子力発電に使う燃料は放射性核物質であることから、それから漏れる放射線は生物に大きな影響を与えます。放射線による外部被曝と放射性物質による内部被曝があり、被曝量によっては、数年後になって人体に症状が出てきます。福島県では、18歳以下の子供の甲状腺検査を始め、生涯にわたってチェックします。
日本列島は活断層が多くあり、3つのプレートが1箇所で接する3重点が2つあるなど、極めて複雑な様子を示しているといわれています。原子力発電所は海岸の近くに建設され、地震・津波にさらされる立地にあります。ひとたび事故が起こると、取り返しがつかない大きな被害が発生します。大金が必要になるだけでなく、人間と自然界の生物全般に極めて悪い影響を長期間与えます。
原子力発電を主力としたこれまでのエネルギー政策を、CO₂を削減しつつ安全で再生可能なエネルギーに転換することが、これからの日本の歩む道です。
日本の将来を担う全国の子供たちが、原発事故の不安がなく環境にやさしいエネルギー政策のもとで、のびのびと安心して育つ環境づくりが必要です。
今後、可能な限り早期に、原子力発電を主力としたこれまでの国のエネルギー政策を、CO₂を削減しつつ安全で再生可能なエネルギーに転換して下さい。休止中・点検中・建設中・計画中・高速増殖炉等の各原発を順次廃止して下さい。
CO₂を削減しつつ安全で再生可能なエネルギーに転換する財源は、これまでの原子力発電と核燃料再処理工場などの経費を当てて下さい。
電力不足について、東京電力は今年の夏のもっとも気温の高い日で最大電力4,922万KW、供給電力は5,460万KWを確保していました。昨冬は、1月~2月にかけての最大電力が5,000万KWを超えていますが、今冬も今夏と同様に、節電があれば十分乗り切れます。
各地の自治体や企業が、メガソーラー発電・小水力発電・バイオマス発電・風力発電等の設置を計画し、進めています。
以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出します。
 平成23年12月 9日
(提出先)
内閣総理大臣  野田 佳彦  様
経済産業大臣  枝野 幸男  様
玉村町議会議長 浅見 武志  □印

2011年12月9日金曜日

今こそ脱原発の選択を、12.8反戦市民の集い

毎年行われている「守ろう、平和憲法・群馬ネットワーク」主催の反戦集会、今年は「脱原発」を大きな柱にして前橋市民文化会館で行われた。福島瑞穂社民党党首の話は国会での連日の政治的やり合いを含め、刺激的な内容だった。
1.政府、経産省は今後も原発を推進しようとしている。原発事故の惨事にたいし本当に向き合おうとしていない。事故当時、東電は、事故原発から撤退する、と事実言った。それに対し当時の菅首相は東電本社に「撤退は許さない」と怒鳴り込んだ。この怒鳴り込みはよかった。
 政府は原発事故の直接的原因を津波としているが、地震によるものだ。地震大国から原発をどうしてもなくしたい。
2.改憲勢力が圧倒する憲法調査会の危険性、何がきっかけで一気に改憲に向け動き出すかわからないが全力で阻止したい。
3.野田政権は武器輸出三原則を踏みにじり武器輸出に踏み切ろうとしているが、これを許してはいけない。軍需産業に依存する社会になったら、アメリカのように武器輸出のため戦争を求める国になってしまう。原発と同じで戦争依存症になったら止められなくなる。
 
 沖縄の辺野古では普天間基地の辺野古移設に反対して17年間座り込み闘っている、山口県の祝島では上関原発に反対し島民が30年間闘っている。決して完全には勝っていないけど、国策を阻止し続けている。これが大事。全国でめげずに集会やデモなどで示威行動を起こし多くの人たちに原発や基地の危険性を訴える必要がある。

 こんな内容だったかなあ。
 会場は満員で顔見知りの人もたくさん来ていた。

2011年12月7日水曜日

12.11デモに向け桐生・チャカポコ洞で会議

11日に迫った今年最後の「原発なくてもエエジャナイカ大行進」は桐生市内デモだ。その会議を群馬大学工学部近くのカレー屋さん「チャカポコ洞」で開いた。
会議は具体的な当日の運営と手順の打ち合わせが中心だ。個性ある個人の集まりといった感じでとてもいい。
 それにしてもチャカポコ洞の雰囲気は「学生街の喫茶店」で、さぞかし学生のたまり場になっているのかと思ったが、最近の学生は30年程前とはまるで違うらしい。政治の話ができないとか。 
 行き詰まった社会のなかで自分の位置が見えないのだろうか。どんな状況であれ、若者は時代の最先端を生きていることが理解できれば、動きがでてくるだろう。多くの若者を不遇な環境に追い込んでいるのは、大人たちの進めてきた政治の結果であり、若者に責任はない。
大人たちより遠い未来を生きる若者は、自分たちの生きやすい社会を創り出す力を持っている。
 危険きわまりない原発など全く不要な社会こそが若者の生きる社会だ。

 11日は正午からアトミック・カフェで勢いをつけ、午後1時からデモ出発。
 
 結集場所はジョイタウン広場(桐生市本町5丁目)

2011年12月5日月曜日

消費税増税論について思うこと。

野田首相は消費税増税を本気で考えているらしい。彼はTPPに関してもそうだったけど本当に頭が悪い。目指す社会に関し「分厚い中間層をつくる」などといろんなところで述べているが何もわかっていない。
 究極の新自由主義政策としてのTPP社会でどうのように「分厚い中間層」などできるのか。
TPPを追求すると、資本の論理だけががむき出しに働く、異常に酷な経済社会が見えてくる。
アメリカでも、日本でも1㌫の大資本にとっては望むところだろうが、どこの国の99㌫の人々にとっては搾取されるだけの話。
 日本の雇用の現状はどうか。厚労省の調査によると正社員数は減り、有期雇用(非正規労働)者数がどんどん増えている(全労働者の約4割)。有期契約で働く人の平均年齢は44歳、2年前より4歳高くなっている。年収も低下しその75㌫が200万円以下という惨状。

 いつからこのようになってきたのか。ひとつにはバブル崩壊後の金持ちや大企業に対する「大減税」、もう一つは自民党政府により行われてきた「金持ち優遇政策」、小泉・竹中の「構造改革」による痛みは総じて中間層以下に集中し、労働者派遣法の何度かの改正により、非正規社員の割合がグッと下がった。そして闘わない、主張しない労働組合が主流派となり、労働者の置かれる環境は極めて悪くなった。あの危ない「維新政党」が増長する原因はこの辺にもある。

 日本には個人の金融資産が1400兆円もある。この大半は一部の大金持ちが持っていると考えられる。少なく見ても半分の700兆円は一部金持ちが握っている。また企業の貯金、内部留保金が300兆円ある。勿論、貯金や企業の内部留保はある程度必要だろう。しかし、限度というものがある。1000兆円の貯蓄というのは日本経済の大きさからしても大きすぎる。日本は先進国のなかでも、一人当たりの所得、消費も決して多くない。しかし、貯蓄だけは断トツに多い。企業の貯金もアメリカの2倍だ。
 この貯蓄の大きさが日本経済を苦しめている一因だ。稼いだ金が消費されずに、貯蓄されていけば、経済は停滞する。
 日本の超高額所得者(年収5000万円以上)はこの10年で3倍以上に達している。
勤勉に働いて世界中から多くの金を稼いでいるのに、その上がりは一部の大金持ちと大企業の懐に入っている。
 一方、有期労働者をはじめ多くの労働者、中小自営業者は毎日の生活に追われ、貯金どころではなく、当然、経済活動も鈍る。

 そこへ広く薄くの消費税増税はないでしょう。小泉・竹中により極端に優遇された大金持ちや大企業にまともに税金を払わせればいいだけのこと。これこそが公平であり、そのような政策をとる政府こそが求められている。

2011年12月4日日曜日

玉村町九条の会「玉村町の戦争事績」完成

玉村町九条の会がかねてから計画していた「玉村町の戦争事績」が製本化され、その頒布を議題とする会議が今日開かれた。
 2005年6月「玉村町九条の会」が結成され、さまざまな護憲活動を行ってきたが、町の近代史に刻まれた戦争の足跡を追い、それを今を生きる人たちそして未来に生きる人たちに伝えたい、という思いで「戦争事績調査小委員会(5名)」を結成し、今日まで取り組んできた。
 町内全墓地を墓ごとに被葬者を確かめ、戦没者であればその墓誌を読み、個人の経歴・軍歴・戦没年月日・戦没地・戦没状況を確かめた。戦没者合葬の忠霊塔をはじめ、忠魂碑、戦没記念碑・従軍・生還記念碑などを求めて寺社の境内を探し歩いたりもした。敗戦前の国体を象徴した陸軍特別大演習・紀元2600年記念碑にもあたった。
 酷暑の夏には日傘を差し、赤城降ろしの吹きすさぶ酷寒の冬にも戦争事績を求め歩き回った。2年半後、小委員会はまとめに着手し、今年の秋、小委員会、呼びかけ人会議を開き検討の末、今日の完成となった。
 なお小委員会の委員は大墳武平さん、関口昭三さん、鈴木敏夫さん、和田晴美さん、金子修さんの5人。事務局長として星野繁さんがとりまとめをした大変な力作である。
 各学校、図書館等に寄付し、多くの町民の皆さんにも読んで頂き、戦争がこの町にも大きな傷跡を残してきた事実を知って頂きたい。そして、戦争を選択しない未来に続けて欲しい。
 一冊800円で頒布している。

2011年12月3日土曜日

佐藤幸子さんの話を聴く

高崎市にある中医研内で開かれた佐藤幸子さんの講演会に参加。
佐藤さんは「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人」として対政府交渉などを積極的にしている女性だ。

※福島の人口を維持しようとする県と政府は、避難したくてもさまざまな事情で避難できない人たちを被曝の実験台にでもしようとしているのか。しかし、すでに10万人の人口減が生じている。

※ 多くの県民に正しい情報が知らされない中、原発事故が起きたとき、真っ先に逃げたのは医師と東電社員とその家族。交通渋滞の中で多くの子どもたちは被曝した。

※こんな惨状の時、海外へ原発を輸出しようとする政府には怒りしかわかない。事故は輸入国持ちか。

※すでに農薬、化学肥料、添加物、洗剤、消臭剤、電磁波、塗料、インクなどから体は悲鳴を上げていた。その症状のひとつとしてアトピー性皮膚炎がある。このように免疫力の劣っているとき放射能の被害が加われば、どのようなことが起きるかわからない。

 今できる防護は、内部被曝を少しでも少なくするために、特に子ども、妊婦、若い女性に汚染されていない野菜、米、水が必要。そのための「野菜カフェ」を開店するそうだ。
 
本来なら政府や県がすることだろうに全くあきれた話だ。
 
 質疑では福島から来た人が、危機感を込めて発言した。「海外の人からは、このような大事故に合いながらも、暴動ひとつ起きない日本とはどういう国だ、と言われる」と。はあ。
 少なくても黙っていたり、祈っていたりだけでは原発は止まらないことだけは確かだ。推進派の腰が抜けるような状況をつくる必要がある。

2011年12月1日木曜日

玉村町12月議会始まる。東電職員も傍聴に来る。

今日から9日までの12月議会が始まった。16人の議員のうち11人が一般質問に立つ。各人の問題意識が現れていて興味深い。今日は4人、内2人がTPPに反対する論陣を張る。町レベルではどうしようもないとの声もあるが、国内の大きな課題でもあり、町議会で訴えることは決して間違ってはいない。この町にとっても大きな影響があるわけだし、むしろ国政的な問題意識を抱えてこそ町政も語れる。
私のTPPへのとらえ方は勿論反対、「一次産業を壊滅状態にして、なおそれを上回る利益などない」との確信からだ。
 予定通り「原発事故状況下での安全・安心な暮らしのための施策」を問うた。
原発とはどんなに危険なものか、始末の方法が実は見つかっていないこと、内部被曝の危険性の認識、今後、更に事故の拡大局面があることが予想される中での町の対応準備など、行政に対するものに限っての質問をした。
 放射性物質の混じった汚泥は原発の石棺用に使え、という質問に即答できないのは、無理はない。しかし、それ以外にないことはそのうち明らかになるだろう。
「放射能を甘く見るな」という注意喚起の質問といっていい。

 帰りがけ職員から「東京電力の職員が傍聴して、石川さんの質問が終わったら帰りました」と教えられた。マスクをしていた人がそうだという。
 それなら紹介して欲しかった。教えてももらいたい事がたくさんあるのだけど、まわりに東電関係者がいない環境で生きているので、是非、真意を知りたいと思っていたのに。今後、そういう機会もあるだろう。

2011年11月29日火曜日

秋山豊寛さんの講演会「鍬と宇宙船」そして見頃の鬼石・桜山の冬桜

 楽しみにしていた秋山豊寛さんの講演「鍬と宇宙船」だが、仕事と時間がだぶってしまい、会場に到着したのは3時40分頃、講演の最後の部分だった。それでも宇宙での生活は印象深く今でも鮮明のようだった。司会の秋山局長から「遺言を書いたか。UFOを見たか」という質問があったが、「遺言は書いていない。UFOはいないとは思わないが私は見ていない」と答えていた。
 塚越紀一県議や資本論の勉強会・平居塾の関係者、原発とめよう・群馬の仲間も何人か来ていた。「どんな内容だった」と聴くと「すごくよかったよ」とのこと、後で教えてもらおう。
 講演会終了後、庭で秋山豊寛さんと写真を撮りながら、雑談した。
まえばしシネマでの肥田舜太郎さんの講演会には秋山豊寛さんも行っていたそうだ。「言い足りなかったことがあったよね」と言っていた。
原発とめよう・群馬の呼びかけ人をお願いし、こちらの都合でおいとました。
 というのは、時間もまだ4時過ぎなので、せっかくだから桜山の冬桜を塚越県議や星野さんたち仲間に見てもらいたかったから。(私、鬼石観光のお手伝いまでしてしまう細かい心配りの持ち主です。)
 桜山の冬桜は今が見頃、駐車場には結構な台数の車が駐車していた。ライトアップの明かりもついたばかりでまさに黄昏時、この時間帯も微妙でいい。
 桜山のライトアップは12月4日(日)まで。彼女、彼氏を引き連れて行っとくれやす。

2011年11月28日月曜日

橋下・大阪維新の大勝と反対側の映画「人生、ここにあり」の深さ

「市役所は税金を貪り食うシロアリ」とまでこき下ろした橋下徹の大阪維新が圧勝した。「維新」は既成政党を右から突き破る体制内クーデター勢力であり、より新自由主義を推し進めようとするファシスト政治団体だ。99㌫の側にいながら1㌫のための社会を作ろうとする新しい運動の本質を見抜けなかった結果といえる。
 市役所職員はすでに白旗を揚げ「その時々の市長に務めるのが職務」などと言い出す人もいるそうだが、結果によっては、「命令に従っただけ」という弁明ではすまされないことも認識すべきだ。自らの良心に従った職務こそ求められる。軍にだって「良心的兵役拒否」の思想は生きている。

 あきれた選挙結果に気を紛らわそうと映画館に行った訳ではない。
注目の映画「人生、ここにあり」を観る時間がとれたので足を運んだだけのこと。
会場には予想を上回る観客それも若い人たちがいたのにはちょっと驚いた。世の中捨てたものじゃない。

【イタリアで天才が生まれるのは、みんなどこかいかれているからさ。言ってみれば国が巨大な精神病院みたいなもの。隔離する必要はない。】
 イタリアでは1961年、ゴリツイア精神病院長に就任したフランコ・バザーリアが患者の悲惨な状況を見、すぐに内部告発を始め、粘り強い訴えと行動で精神病に対する社会の目を変えていった。
1978年バザーリア精神保健法が成立し、精神病院の新設と入院治療を禁止し、患者と地域で共存する体制に移行した。
 イタリアの精神科のベッド数は1万床以下、入院患者数はゼロ。日本のベッド数35万床、患者数は70万人だから比べものにならない。
 
 精神病院に幽閉され厳しく管理された人々は幽閉されたことが原因の「幽閉シンドローム」にかかっていた。彼らはコミュニケーション能力や興味、欲望の喪失、攻撃性や衝動性、無気力感に覆われていた。
 バザーリアたちは「自由こそ治療だ」のスローガンのもとで、患者たちを有形無形の鎖から解き放した。
 精神病者の生きづらさを解決する方法として、連帯と協同をうたう協同組合がある。地域に支持されたこのような社会協同組合は2005年末時点で7363カ所におよぶ。
新体制推進のスローガンは「みんなよく見ればアブノーマル」、「普通」という概念そのものに疑問を投げかける深い言葉だ。
 まずは映画を観てからのお話。
 シネマテーク高崎で12月2日まで。

それにしても維新勢力にはこのような発想は全くない。
病者のための弱者のための、もっと言えば弱点も抱えている普通の人たちの痛みや悩みなどまるで考えない強者の側の政治をしようとしているから許せない。
お願いだからこんな連中に騙されないでよ。後で後悔するよ。

2011年11月27日日曜日

ふるさとと子どもたちを放射能から守る沼田学習会

比較的高濃度の放射線量が測定されている沼田地域、それ故に深刻な影響を考慮してかなかなか声の上げにくい地域状況を食い破ろうと、地元有志たちが企画した「ふるさとと子どもたちを放射能から守る沼田学習会」に参加した。
 講師は福島県いわき市議の佐藤かずよしさん、彼を紹介したのはこれまた角倉邦良群馬県議、広瀬隆さんの大学のような講義もよかったが、佐藤さんは福島現地で実際、生き活動している切迫感と使命感が切れ味よく聴く者の心をとらえた。
1.「冷温停止」は圧力容器が正常の時はあり得るが、メルトアウトしている中ではあり得ない。
2.長期低線量被曝、汚染食品による内部被曝の拡大、海洋汚染の広がり
3.10万人余の人々がふるさとを追われ、190万人余の県民が汚染地域に暮らす状況の深刻さと、国による被災地周辺住民の棄民化、「ヒバクシャ」の強制、事故情報の隠蔽、情報統制の指摘。
4.福島県沖及び双葉断層地震による



第1、第2原発の危機
5.自主避難と集団疎開裁判、避難の権利、東電への損害賠償請求
6.原発被爆者保護法の制定の必要性
など盛りだくさんのことを指摘し、地震活動期である現在、中長期目標としての脱原発ではなく、即時・無条件の原発停止と廃止を強く主張した。
 県民、国民をあきらめさせるさまざまな策動との闘いが原発廃止の帰趨を決める、だから全国の人たちと繋がる必要があることを訴えた。
 
佐藤さんのホームページを「お気に入り」に登録しておこう。
久しぶりに川場村の元気な黒田まり子さんに会った。また呼びかけ人のひとりの真下淑恵さんは八ツ場ダムの反対運動の先頭に立っている人だ。高柳勝巳沼田市議といい、役者が次第に増えていく。

「起きてはならないことが起きてからでないと謙虚になれないのが人間の悲しい業」だとしたら、原発事故が起きてしまった今こそ、自然に対し謙虚になり、原発を即時停止させなくてはならない。

 それは八ッ場ダムについても言えることで、そもそもダムに適さない地質の現地にダムを造ろうとしていることが問題なのだ。
総事業費が03年に当初の倍増の4600億円にも上昇し、今後の関連出費を含めると、1兆円をはるかに越えてしまう大事業、難事業だ。そのくせ時代遅れの無用・不要のダムとなれば、止めるしかないはずだ。もしも完成させてしまったら、後生の人々にどれほどの災難を強制するかくらい考えろ。民主党もひとつくらいいいことをやれ。

 帰途、土田君から電話が来た。彼は東京での柄谷行人の集会に行っていたのだ。「沼田の学習会の報告をしておきました」と明るい声。色んな人が色んなところで原発を止めようとすることが大切。
 12月11日には桐生市内で「原発なくてもエエジャナイカ大行進」いざ前へ。

2011年11月25日金曜日

12月議会一般質問要旨

「起きてはならないことが起きてからでなければ、謙虚になれない人間の悲しい業(ごう)」という言葉がチェルノブイリ事故当時語られたが、日本人にとっては、「それでも謙虚になれなかった」ことが、今年3月の地震と津波に伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故によって証明されてしまった。
 やはり日本ではそういうことは起きないだろうとの期待も含め、高をくくっていたといえる。自分たちが生きている時代に起きなければいい、などという思いもあっただろう。やはり他人事にしたかったのだ。
 これでは資本論のなかでマルクスが言う、「洪水よ、我亡き後に来たれ」と願う資本家の無責任な願望と同一ではないか。いつしか日本人はここまで堕落してしまったのか。
何が子どもたちに道徳教育をだ。
 まあまあ興奮を抑えて。
さて今度こそ自然に対し謙虚になれるだろうか、そのことが本当に問われているのが今回の事故と考える。
 考えてみれば、原発は原子力による「湯沸かし装置」であり、薪で沸かすか、原子力で沸かすかの違いに過ぎない。しかし、その違いが天国と地獄ほどの違いになって私たちに迫ってくる。
しかも原発はその熱量の3分の2を使うことができず、海に捨てている極めて効率の悪い蒸気機関でもある。
 54基の原発で1000億トン(日本の全河川流量・4000億トン)の海水を平均7度上げもしている。
膨大に生み出される放射能、処理方法さえない大量の放射性廃棄物のこと等を考えれば原発即廃止以外に人類の未来に対して取るべき道はない。
 これらの思いを込めて一般質問をする。

原発事故情勢下での安全・安心な暮らしのための施策を問う。

東京電力福島原子力発電所の事故は、その収束に向け、懸命に努力をしているのだろうが、廃炉までに30年以上を要するとし、その間にもどのような不測の事態が起こるかもしれない中での町の行政対応について以下質問する。(例えば、政府発表によると、セシウム137の量だけとっても、すでに広島原爆170発分が大気中に放出された。)

1.原発は事故がなくても、その放射性廃棄物の処理方法について未だ対応不能という状態だが、安全神話の洪水の中、反対の声はかき消され、全国に54基の原発が造られてしまった。
今後のエネルギー政策に関し、再生可能な自然エネルギーへと転換する「脱原発社会」を目指すべきと考えるが町長の見解を問う。併せて太陽光発電、太陽熱利用への取り組みを強化する考えがあるか問う。
2.現実に放射性物質が玉村町でも検出され、「この程度なら心配ない」という人もいれば、「それでも心配でどんな対応をしていいかわからない」という人もいる。どちらも住民である。町が放射能に対する認識(特に外部被爆と内部被爆の違い)をキチンと持ち、どのように住民を安心させる方策をとろうとしているか問う。特に子供達への対応と農産物に対しての対応を問う。
3.放射性物質が汚泥に含まれることは今後とも予想される。汚泥処理については悩ましい問題だが、いずれ事故原発はコンクリートの石棺で囲わなければならない。セメントにして石棺用資材として使用することが現実的と考えるがどうか。
4.住民から放射能に関する問い合わせなどに対して機敏に対応できる態勢が求められるが、放射能測定器をどのように活用しようと考えているか。
5.すでに事故原発周辺地域の子供の一部に甲状腺異常が発見された。成長期にある子供たちを内部被爆から守るため、特に学校給食については細心の配慮が求められるが、配膳間際での放射線量調査をして安心して給食を食べられる環境を提供すべきと考えるがどうか。

12月1日午後3時頃の予定

2011年11月23日水曜日

「原発とめよう・群馬」の11月、12月連続企画に参加しよう。

今年もいよいよ大詰め、しかし、東京電力福島第一原発事故は収拾の目途もつかず、周辺地域に住む人たちを見捨て去るような政府の政策さえ見え隠れする。
地域の人々特に子どもたちが被曝の危機にあるというのに、政府の政策として避難、疎開もさせないとは彼らを被曝の実験台にのせようとでも言うのだろうか。
現在の福島の経済が未来を生きる子供たちの命より重要、と政府は言っているようなもの。またこのような惨状にあるとき、新自由主義の極限政策としてのTPPを決断する野田政権は全く唾棄すべき政権というしかない。
 群馬の地に生きる者として、福島の苦しみ、悩み、怒りをともにしたい、という思いで始まった「原発とめよう・群馬」運動のの呼びかけ人がさまざまな「脱原発」の企画をしている。

11月26日(土)午後1時半会場、2時開始 4時終了
  会  場 沼田市グリーンベル7階(国道120号線市役所入口の西、下之内信号角)
  福島県いわき市議佐藤かずよしさんの話
(脱原発自治体議員連絡会の中心的議員)

12月3日(土)午後2時から4時まで
  『佐藤幸子さんを招いての講演会』
  (子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人)
  訪米中の野田首相に「福島の子どもたちを守れないで、原発の安全性を世界中に言うのは ひきょうだ」と直言した人。
 会場 中医研2階ホール 高崎市北原町25-3
   予約先(090.1103.6660)吉田さん

12月11日【原発なくてもエエジャナイカ大行進in桐生】
  正午からアトミックカフェ
  午後1時から原発なくてもエエジャナイカ大行進出発
  場所 ジョイタウン広場(桐生市本町5丁目)駐車場は中央パーキング(有料)へ
  出店 ちゃかぽこ洞 他
  ライブあり 石坂亥士 他
  今年最後のデモなのでしっかりやり抜きましょう。

 そして来年3月11日(日)は全群馬集会として[原発いらない群馬/10000人アクション]を企画している。街頭から政治を動かす大胆な試みに挑戦しよう。

2011年11月22日火曜日

ゲット・ラウド GET LOUD

ジ・エッジ(U2)、ジミー・ペイジ、(レッド・ツエッペリン)、ジャック・ホワイト(ザ・ホワイト・ストライブス)の3世代の3人のギタリストのジャム・セッション。
私はもうロックを聴くことから遠ざかってしまいジャック・ホワイトに関してはまるで知らない。
 音楽を聴くときのジミー・ペイジの笑顔がこんなにやさしく好奇心にあふれているかと思い知らされた。
若い頃はレッド・ツエッペリンもよく聴いた。「天国の階段」「胸いっぱいの愛を」などはすごいショックだった。ビートルズとは全く違う味があった。
あのジミー・ペイジが未だこんなに若くやさしいまなざしを持ち、若いギタリストに学ぼうとしている。それを知っただけでもすばらしい映画だ。同じ時代に生きていることが嬉しくなってしまう。
彼はすでに「伝説の人」だ。ツエッペリンの曲を探して改めて聴こう。
 シネマテーク高崎で12月2日(金)まで上映。

2011年11月21日月曜日

にぎわいの玉村町産業祭

心配された雨も土曜日までで昨日は晴天の中の産業祭だった。27回ともなれば町民に浸透し会場にあふれんばかりの参加者を得た。昭和村村長や議員、長野県山之内町長もわざわざ参加して頂き、出店した特産物の野菜や果物は完売となった。
 私はたまたま西園先輩と会いうどんをごちそうになった。先輩の人脈は極めて広く色んな人を紹介された。「次の選挙のために明日から動いた方がいいよ」とのアドバイスを受けた。
原発とめよう・群馬の呼びかけ人にもなっていただいた。

 午後は前橋の朝鮮学校から「文化祭」の招待を受け参加した。金剛山歌劇団とはいかないが、手作りの暖かい雰囲気の中、在日朝鮮人の皆さんが協力し合って子供たちを守り育て、自らも日本社会で生きていこうとする姿があった。
「在日」の意味を日本人がもう少しまじめに考える必要があることを思い知らされもした。

2011年11月19日土曜日

ほんものを食べたい 生活クラブ生活協同組合 IN 玉村

生活クラブ生協の安全な食べ物の試食会が玉村町の本部で開催された。
生協とは東京電力福島原発事故以来の反原発運動のなかでの出会いだったが、食に対する思いは強い。
生協は「消費と生産の連帯」「自給のための循環型産地づくり」にまじめに取り組んできただけに、原発事故に対する怒り、政府や大手メデイアによる「及び腰」報道に危機感を抱いている真っ当な団体だ。
 参加して、実に多くの人たちが繋がっていることを実感した。玉村町の会員がまだ少ないとのことなので、微力ながら強力したい。その一環として早速、あの秋山局長と貫井町長に現場を見てもらい生協の理事長を紹介した。
 たった今、土田君から昨日のブログの秋山局長の写真に「感動した」との緊急電話が入る。彼にも生協の会員になってもらおう。

2011年11月18日金曜日

[鍬と宇宙船」秋山豊寛さんの講演会・鬼石町

 秋山豊寛宇宙飛行士と秋山博藤岡市鬼石商工会事務局長は全くの別人、お互いの名誉のためにまず一言、そしてこの写真は別宅でくつろぐ秋山局長の余裕の姿。何の問題もない。決して秋山豊寛さんと間違わないで欲しい。
 しかしこの秋山局長、なかなかのアイデアマンで、鬼石町の古いたたずまいにマッチした灯籠を作ったり、桜山のライトアップを企画したり、鬼石町を元気にする映画づくりもした。世界遺産の熊野から間伐した木の切れ端に小学生の敬老の言葉を書き、桜山温泉に浮かべ集客もするなどなかなかのやり手、商工会を1度訪れた井筒和幸監督は未だに「秋さん元気?」と聞く。
いずれは〈伝説の局長〉になること間違いなしの人物だ。
 
 その秋山局長最新の企画がこれだ。宇宙飛行士秋山豊寛さんの講演会〈鍬と宇宙船〉だ。
秋山豊寛さんは福島で農業をしていたが原発事故で福島を離れ、現在鬼石町に来て農業を営んでいる。きっと皆さんが満足出来る話になると確信する。足を運んで下さい.

 日時 11月29日午後2時から
 場所 鬼石町多目的ホール  入場無料


参考までに[瞬悠漂流記]から「宇宙よ」を抜粋する.

宇宙よ   立花隆 秋山豊寛 文芸春秋 1800円

日本人初の宇宙飛行士であり、世界初のジャーナリスト宇宙飛行士秋山豊寛がソ連の宇宙飛行士とともに、宇宙を飛んだのは1990年12月のこと。彼が帰還してまもなく、立花隆が彼を聞き取り調査した記録がこの一冊。徹底的なデブリーフィング(Debriefing)で、未知の世界に関する情報を引き出そうとする試み、本人が忘れていることや気がつかなかったこと、重要性を認識していなかったことなどを聞き出すため、本人の経歴、両親のことから聞き取りを始めていく。立花自身、このプロジェクトの初期から外部スタッフとして参画し、裏も表も知っているし、米ソの宇宙開発についても詳しく、NASAのスパイと疑われるほどだった。聞き出す側の知識と見識により引き出される内容が断然違ってくることが良く分かる。

生い立ちから聞き取りは始まり、青春時代の社会情勢、安保闘争から全共闘世代への過渡期を生きた秋山さんの生き方のポジションに迫り、若い日々を検証していく。
 就職から宇宙飛行士への応募と落選、再浮上そして当選へと進むが検査は厳しい。
「エルゴメーター」〈台の上に自転車を置いたような装置で、これに乗ってこぐ。ペダルはどんどん重くなる〉による心肺チェック、「起立倒立」〈体を手術台のような台座に固定させ、その台を様々な角度に変化させ一定時間保持し、その間に脈や血圧がどのように変化するか調べる〉。減圧室〈5000メートル上空と同じ低い気圧に下げる。すると5000メートル級の山に無酸素登山したのと同じく低酸素状態に置かれるから、体の機能は著しく低下する。それを心電図と脳波でチェックし、指と指を合わせられるか、数字をどの程度記憶できるか(3桁から6桁までテスト)、計算はできるかなど調べる。その後5000メートル上空で放り出されたと仮定し、自然落下と同じスピードで、地上に着くまでの2分間気圧を上げていく。急激な気圧変化についていけなくて鼓膜が破れた人もいる。鼓膜が破れなくても、この検査の前後で、聴力検査を行い、この間に聴力が低下するようだったら不合格となる。〉
「コリオリス」〈平衡感覚の強さを見る。被験者は自由に回転する椅子の上に上半身裸で固定され、アイマスクをつけ、心電図をとられる。椅子は最初の1分間に右に30回回転し、次の1分間に左に30回回転する。この間、被験者は医者の指示により右や左に首を曲げて起こす、前に頭を下げて戻すという動作をくり返す。〉これは苦しいテストなので1分ごとに止めては、まだ続けるかどうか聞かれる。
この他、前庭機能を検査するために、アイマスクを着けて横たわり、耳に冷水を入れる検査もある。こうすると人間は必ず目まいを起こす。その目まいの起こり方、戻り方を、目の周囲の筋肉の筋電図をとることでチェックする。また、目のストレス能力を調べるため、体を椅子に固定し、周囲の円筒形の壁に急速に動いてゆく縞模様を映し、それを目で追わせながら、やはり目の周囲の筋力の筋電図をとるという検査もある。    
ソ連に行ってからからの検査では、巨大な遠心装置で4Gから8Gの負荷をかけて重力加速度の変化にどれだれ耐えられるかを見る検査、下半身に血液が移動したときにどのような生理的変化が起きるかを調べる下半身陰圧装置を使っての検査もある。
このような検査でチェックされた候補者数人はソ連へ行き、最終検査を行い、様々な事情も反映し、秋山豊寛、菊池涼子が選ばれた。

これらはほんの序の口に過ぎないが、これを知っただけで、宇宙は遠い別世界といった感じを受ける。これまでして何故未知の宇宙へ人類は飛び立つのか。ヒントは500万年程前、食べ物が豊富な密林で豊かに安全に暮らしていた人類の祖先・猿の中の一部が密林から出て危険な草原で生活を始めたことの中にあるのではないか。好奇心、危険からの回避等理由は様々だろうが、それまでの住み慣れた環境から、あえて危険な環境に身をさらし、適応させるため自ら進化した猿。猿人、原人、旧人、新人と進化した猿である私達の子孫は、宇宙へ住処を求める集団が一部あっても不思議ではない。宇宙という全くの異空間に適応する未来人への助走が現在の宇宙への挑戦なのだ。こんなことを考え出すと切りがないので興味深い内容満載の本書に戻す。

星の街
秋山はモスクワから約40キロに位置するガガーリン宇宙飛行士センターという軍事基地・通称「星の街」で訓練を受けることになる。ここは地図には載っていない。ソ連の庶民は知る必要のない場所だった。「星の街」の商店はソ連の一般社会ではないようなものがたくさんある特権社会だ。そこで約1年の訓練を受ける。
3ケ月でのロシア語のマスター、ロシア語での宇宙工学、宇宙飛行力学、弾道学、コンピュータなどの学習とソユーズ、ミールの構造やシステム、飛行計画、船内文書などに基く技術訓練とともに基礎体力づくり、そのための水泳、ジョギング、テニス、クロスカントリー、ジムでの20種類くらいの機械を使ってのトレーニング等をこなさなければならない。そして実地訓練へと進み、いよいよ本番、出発となるが、これまでの道程は上述の通りかなり厳しい。

実地訓練から出発
 酸素量や炭酸ガスの警報が鳴るという緊急事態を想定した訓練をこなし、いよいよ出発となる。
出発直前には浣腸もしなければならない。宇宙服を着てソユーズに乗り込んでから、軌道にあがってトイレに行けるまで、4時間程かかる。時には5、6時間トイレに行けない状態が続くので、いっそのこと浣腸をしてしまうのだという。
打ち上げ直後の音は全く聞こえず、はじめ体に感じない振動から始まって、やがて砂利道をダンプカーが走るようなガタガタという強い振動になって、膝も揺れ、Gも増してくる。そしたら、第一段階の切り離しでドーンという衝撃が走る。それ以降は切り離すたびにドーンという音がし、8分50秒後に、重力がスカッとなる空間に抜ける。

ドッキング
秋山等を乗せたソユーズは、地上400㎞を飛ぶミールに向けて次第に近づきドッキングする。宇宙開発当初のドッキングは手動だったが、今は勿論コンピューター自動システム。手動は職人芸だが、自動システムと言ってもそう簡単ではない。飛行士は管制塔からの指令をそのままに数字を打ち込むキーパンチャーではなく、軌道計算も全部頭に入っている。自動ドッキング技術もさらに進歩し、ミールに食料や機材を運搬している無人貨物船プログレスは、完全自動ドッキングシステムになっている。勿論、万一の時に備えて、手動ドッキングの訓練もしてある。訓練のほうがハードで実際の打ち上げの方がラクということもある。訓練はあらゆることを想定しているからだ。
ソユーズとミールのドッキングの最終速度は普通秒速20㎝という。船体同士が接合すると、ひとつ20トンの荷重に耐えられる8個のフックが自動的にかかって船体同士を固定する。接合部には、油圧系統のコネクター、電気系統のコネクターが並んでいて自動的に接合される。ドッキングはソ連上空でなされ、次の一周の間に、ドッキング部分の気密検査が行われ、安全性を十分に確認してから、次にソ連の上空にきたところで、ソユーズからミールへ乗員の乗り移りが行われる。
ソユーズからミ−ルに乗り移った3人は数日間の作業の後、秋山の他の二人を交代要員としてミールに残し、ミールに乗っていた二人が帰還するためソユーズに移り秋山とともに地球へ帰ってくる。

宇宙
宇宙飛行を通じてソ連に支払った金は最初15億円といわれていたが、どんどんふくらんで 最終的には50億円になったという。フライト時間で割ったら、1時間あたり2500万円にもなる。あの実験をやってみたい、というと、すぐ200万ドル、300万ドルとふっかけられるように予算がふくらんでしまうのだという。
宇宙ステーシヨンでは材料実験が行われていて、ソ連はアメリカより15年は進んでいる。無重力状態でガリウム砒素の結晶を作ると、均質化が図られ結晶の品質が高く結晶構造がゆがまない。結晶にゆがみがないと、半導体の場合、中を走る電子のスピードが違ってきて、それを使って半導体を作ると超高速のコンピユーターができる。本当のハイテク製品だから価格も高い。ガリウムの国際価格は、グラム当たり25万円で、10キロあれば25億円。高品質なものだから当然高く売れる。ソ連の経済はガタガタでも、こと宇宙技術だけは、特に材料実験、生産技術といった面では西側を圧倒している。
今までの貨物船プログレスは上がるときだけ物資を運んで、帰りは廃棄物を詰め込んで大気圏に突入させて燃やしてしまい、廃棄物処理にしか使わなかったが、宇宙工場での製品の輸送のため今は帰りも無人のカプセルが物資を運搬して地球まで戻るようにした。
宇宙飛行士はどれくらいの星を頭にいれておくのか。地上での訓練で全天恒星図を頭に入れておくが、宇宙で、見印に決めておいた星を探そうとしても星の数がものすごく多くてどれだかわからない。結局、ソビエトの宇宙飛行士は6000個の星を覚えるという(p374)。プラネタリウムのところには、ソユーズ、ミール、ブランの三つの操縦席があり、それぞれの操縦席の中に天体観測用の機器がある。その中で訓練するのだ。
宇宙飛行士は訓練されて宇宙を飛ぶわけだが、それ自体がテストでもある。例えば、ソ連版スペースシャトル・ブランのクルー、レフチェンコは、87年に、ソユーズTM4でミールに上がり、ソユーズTM3で戻って来た。そして地球に戻って30分後ジェット機を操縦してモスクワに飛ぶ、ということを敢えてさせられた。

人生観
今世紀に起きたことは実に大きい。1917年ロシア革命からソビエト連邦が成立し、戦後、ドイツが東西に分裂し、しかも、世紀末には、絶対無理だと思われたソビエトの崩壊と東西ドイツの統一が実現した。
秋山は感じた。雲の上から地球を見ていると、本当に人間が生きているのかしら、と思えるほど人間の営みが小さく感じられる。その人間がいろんなことをして自然条件を変えてしまう。その最大のものが戦争、環境破壊。国境というものがいつまで続くかわからない感触を得た。事実ヨーロッパではEC統合に向かって動いている。次ぎの次ぎの世代になったら国境というものがなくなっているのではないだろうか。
「地球に帰ったら人生観が変わるだろうか」という問いに、「人生観なんてものは持っていないから、変わらないだろうけど、毎日毎日を大事に生きたいなという気持ちにはなると思う。」と彼らしく答える。事実今、彼は会社を辞め、福島県で農業を始めた。
科学の粋を集めた宇宙飛行で得るのものは、いろんなものがあるだろう。科学者にとっては次なる挑戦をかき立てる新たな疑問と今日までの科学の成果としての多くの果実。一方で、人間が生存することの意味を謙虚に見直すことが出来るのかもしれない。宇宙まで行かなければ、謙虚になれないのかと言うかもしれないが、宇宙は果てしなく深く遠く広い。その無限の中に浮かぶ地球という奇跡の惑星を実感しての感触の意味は大きい。生物が生息出来る自然環境の中に身を置くこと、その中で生まれ、成長し、死ぬことを繰り返し、進化しているあらゆる生物と環境。その環境を破壊することが発展ではないのだ、と思い知ること、誰も死から逃れることはできない、自然の中で生の流れに任せること、毎日の営みを大切にすることが生きることの基本なのだと教えてくれる。
ここまでくると、不思議なことに宗教と一致してくるものを感じる。私は宗教にほとんど疎いが、これが宗教としたらそれはそれでいいと思う。現在私の回りにある宗教は即物的で邪悪なものが多いが、生と死を極限的に見つめていくと哲学とも宗教ともいえるものになるのではないか。
たった一度だけ与えられた命を大切にすること、これは自分だけではなく他の命もかけがえないものとして大切にすること、これこそ今の人類に求められているものだ。特に政治に求められているものだ。21世紀を乗り越えるポイントは戦争政治、帝国主義経済をうち破ることが出来るかどうかということだ。

2011年11月16日水曜日

12月議会一般質問準備中

来年1月が玉村町町長選ということもあり、貫井町長もさぞかし忙しく一般質問に対してもどれだけ本気で対応できるかとの思いで、今回休もうとも考えたが、東京電力福島原発事故の行方は知れず、今後どのような展開になるか予想できないことを考えれば、緊急的に原発事故関係の質問を集中することにした。まずは町長の原発に対する姿勢、「脱原発」か否かを問う。
回答によっては今後のつきあいも考えなくちゃ。町の危機管理の意味を込めての行政対応を問う。

 この間、「原発がどんなものか知って欲しい」平井憲夫、「原発時限爆弾」広瀬隆、「原子力発電で本当に知りたい120の基礎知識」広瀬隆共著、「原発の真実」小出裕章、「福島の原発事故をめぐって」山本義隆、「デイズ・ジャパン」「週刊金曜日」などを読み、いくつかの講演を聴いてきたが、人類は原子力発電という途方もない「湯沸かし器」を作り出し、自分で始末できない事態に追い込まれてしまったということをつくづく感じた。
 一方で、この事態に懲りもせず「より安全な原発の稼働」などとほざいている無責任な連中もいる。そういった連中が政治権力を握っているのだから危険な状況だ。
 日本の大きな地域としての福島・東日本が原発事故で収拾の見込みすらたたない中、「TPP開国」などといって、アメリカに日本国内全産業を差し出す忠臣野田と保守勢力の「売国的行為」に対し、国際主義派としては、「どこまでアメリカに屈するのか」と呆れかえり、怒り心頭の毎日だ。もっとも発散しているからストレスはたまらないが。

 明日は午後7時から群馬会館での「原発止めよう・群馬」呼びかけ人会議、
26日(土)は午後2時から沼田市グリーンベル7階で「ふるさとと子供たちを放射能から守る沼田学習会」に参加する。

2011年11月11日金曜日

高崎市議会東部分科会との交流会

玉村町議会と高崎市議会東部文科会との交流会がメトロポリタン高崎で行われた。松本泰夫高崎副市長から「高崎・玉村スマートインターチェンジについて」の題した講演があり、その後、懇親会に移った。
 高崎市駅東口から玉村にかけての東毛広域道路を伊勢崎、太田へ続く道路として、かなり力の入れた開発をする計画を聴かせてもらった。高崎・玉村スマートインターチェンジ付近を商業地域として開発し、大型バス乗り入れターミナルをつくり交通の要所とし、周辺を商業地域として大きく開発したいので、是非玉村町との連携が必要と説いた。
「玉村物産館」程度のものでは話にならない規模なので、今後、両市町で協議を進める必要がある。
 懇親会では、浅見新議長体制の玉村町議会、4月の選挙で当選してきた若い議員もいる高崎市議会の間でさまざまな話題が和やかに交わされた。


高崎市に行く前に玉村町議会全員協議会を開き、この間連続して5件起きている不審火災についての報告と説明を受けた。10月21日から昨日11月10日までに玉村町の南西地域に集中し倉庫等が火災を起こし3件が全焼している。町民はかなり神経質になってきている。今も見回りの消防車が通り過ぎた。一刻も早い解決を望む。

2011年11月10日木曜日

第26回高崎映画祭名刺交換パーテイー

来年の第26回高崎映画祭に向けた準備態勢が整った。志尾睦子さんが映画祭事務局長として責任を取りきり、松浦幸雄前高崎市長は運営委員長という立場で前面に立つ。勿論、常見さんたち強力な裏方が多数控えているので安心感のもてる態勢だ。
そのお披露目の名刺交換会がメトロポリタン高崎で開催され、多くの参加者でにぎわった。
 市長を終えてますます元気な松浦さんや富岡賢治新市長とも映画の話ができ、なによりトロフィー制作の木村明さん、賞状を手書きする植原豊秋さんにお会いできて嬉しかった。
みんな無欲で「茂木さんに頼まれると嫌とは言えなくなる」と嬉しそうにこぼす愛想がいい。こういう市井の人たちが育ててきた映画祭だから長続きするのだろう。
 丸山和久高崎市議会議長には11日予定の玉村町議会との交流会でお世話になることを話すことができた。

 今日は山田行雄高崎市議を訪ね、「現代世界情勢と今後の課題」というとてつもなくでかいことを話題にしながら(資本主義は大丈夫かいな?ということ)お互いの健闘を誓った。
目も眩むようなでっかい話かヨタ話をしていればそうそうもめることはないことをこの年になればお互い知ってますから。

2011年11月8日火曜日

上州は鬼石・ライトアップの桜山公園へどうぞ

5時頃神川町での打ち合わせが終わり、帰る前に秋山局長一押しのライトアップされた鬼石の桜山へ行くことを思いつき車を走らせた。30分ほどで黄金色に染まった桜山に着き、協力金として駐車場代500円を支払い、5分ほど歩くとライトアップされた紅葉の木々と湖と言ってもいいほどの大きな池に着いた。運良く管理人の人が冬桜の木々を案内してくれた。冬桜の見頃は23日前後とのこと、ライトアップは12月4日まで。一度は目と心の保養に鬼石の桜山へどうぞ。

 運転中、国会中継をなんとはなしに聴いていた。攻めるは自民党平沢勝衛、対するは山岡賢次拉致問題担当相、私にとってはどっちもどっちのご両人だが、平沢が山岡のマルチ商法疑惑や地元選挙での金のやりとりなどを追求すれば、「長いつきあいなのだから後で話しましょう」と山岡はきたもんだ。叩けばホコリどころではない腐臭紛々の山岡センセイ、この程度のことではくじけはしない。スキャンダルには強い妙な安定感があるから不思議だ。しかし、ご両人は現在も自民党と昔は自民党、与野党に分かれればこの騒ぎか。よくやってくれるよ。
 一方、これまた自民党出身だが国民新党亀井静香、こちらは時にいい仕事をするから面白い。TPPに関し野田首相に強くその参加をたしなめた。死刑廃止論者というのもいい。すごく特徴的な絵も描く。何年か前、高崎の山田ゆきお市議の事務所で「おふくろさん」を聴かされた時はまいった。聴くに堪えないとは亀井の歌だ。
まあ、みんなくせ者の集まり、懲りない面々のやり合いだから、松下政経塾の薄っぺらな中身なし連中とは全く違う深みというかすごみというか面白さがある。
まるで国会動物園だ。

2011年11月7日月曜日

日比谷での反原発・反失業全国労働者総決起集会は熱い

雨の心配もあった日比谷集会だったが全国から6000人を越える労働者が結集し、熱い集会、デモとなった。新自由主義政策のなか200万人以上の人々が生活保護に頼らざるを得なくなり、若者の非正規職と不安定雇用はどの世代より高いという転倒した社会になってしまった。そこへ福島原発事故だ。
 その事故が収まらないうちに、野田政権は原発再稼働、原発輸出そしてTPP参加など1%にも満たないブルジョアジーの意を受けた政治をしている。政治を99%の労働者に渡せというスッキリした主張の集会だ。韓国、アメリカ、ドイツなどからも多数の参加を得ている。
 現在の日本での最左派の集会だろう。既成政党の限界を突き破り多くの人々が着実に未来への





希望を求めて参加している事を実感した。
 まだまだ元気な益永スミコさんにもお会いでき感激した。

2011年11月5日土曜日

今日の学園祭で思い出してしまう懐かしの幻法祭、

群馬県立女子大の学園祭、今年のテーマは「挑戦」、企業協賛のなかで一際目立つ「資本論に学ぶ会」名で協賛した手前どんなもんかと行ってみたら、賑やかでした。
待ち合わせた訳でもないが、待ち合わせなかった訳でもない栗ちゃん、ツッチーと合流し、目当てのバンド「西野」の演奏に合わせてステージ前に陣取った。
明るいキャラで賑やかな曲を楽しませてくれた。その後、一回りしてみたが今の大学祭は娯楽だけなんだなあ。福島原発に対する問題意識とか政治的なものは皆無、ビラまきさえ当局の許可が必要で、それを当然として学生も受け入れている環境ではこうなってしまうのか。

 今を遡ること35年程前、日大法学部の「幻法祭」はすごかった。学生運動もまだ残っていた頃、学生自治会が仕切り、勿論、おふざけなお笑いあり、模擬店あり、ポルノ映画上映あり、羽仁五郎など反体制人士の講演会ありと深夜まで酒をあおりロックのビートに身を任せている光景があちこちにあった。カルメンマキとオズや頭脳警察などが来たんだからすごかった。勿論ナンパも。
あの頃、どこの大学でも、「部落問題研究会」「朝鮮問題研究会」そして三里塚の農民を招いての講演会などがあったはずだ。学生が政治と対峙していた。
 大学が解放区と化すのが「幻法祭」、学生の自治に対し当局がクレームをつけても跳ね返す力があった。自治会の学生にノンポリ学生もこのときは一体で同調、解放区の維持をたたかい取った。
 今はもう昔か、とため息をつきながらも、それでも未来は学生・若者のものだ、と確信する。だって余命が違う。

その後、飯倉公民館での「作品展」に赴き、作品を鑑賞しながら、密照さんをはじめとした地域の人たちと談笑した。こちらは定年組、話の内容には深いものを感じる。
学園祭も作品展も明日まで。