みんな寿命を全うしようぜ

みんな寿命を全うしようぜ
西表島で会った昼の蝶

2012年4月30日月曜日

関越道でのバス事故・「みんな新自由主義のせい」

昨日、関越道で凄惨なバス事故が起きた。午前4時40分頃は人間にとり一際眠い時間帯だ。乗客も運転手も気の毒な限りだ。
 この事故の元凶は「新自由主義社会」にあると断定できる。
とにかく「安さ、早さ、便利さ」の追求だけに世の中が動き、規制緩和の流れの中で安全性が真っ先に犠牲にされ、そこで働く労働者の待遇もカツカツに切り落とされているなかでの予想された事故だ。バスの運転手と我々は「不安定」という意味でつながっている。
これほどの長距離バスに交代要員を配置しなくてもいい、という国交省の指針自体がどうかしている。金儲け一辺倒の財界の手先に成り下がっている。
 私も国会見学のため大型バスを終日借りたことが何度かあるが、総じて11万円程度、こんなに安くて大丈夫、と聞くと、「バスを遊ばせて置くよりはいいですよ」の答えだ。
 規制緩和で中小零細規模の会社までが参入すると、もう生き残りをかけ、何でもありの状況となる。採算度外視での運行も出てくる。当然、社員の待遇が改善されるはずもない。
 これが新自由主義の現実、強い者だけが生き残るジャングルのような社会ができてしまう。その強者とて、回りは敵ばかりで安心などできない最悪の現実を人間社会に適応している。
 利用者も冷静に考えないといけない。安いだけでのバス利用は要注意だ。
この事故の教訓はバス業界だけのことではない。もてはやされている格安ツアー、格安飛行機なども危険が盛りだくさん。
 新自由主義のカラクリ、99㌫の人々から絞れるだけ絞り取ろうという1㌫の連中の悪巧みに、そろそろ気づこうぜ。
 実は99㌫が滅びてしまえば、1㌫の連中も生存できないことを自覚できないほど、彼らは追い込まれているのだ。これ以上、彼らにこの社会の運営を任せ続けることはできない。
 全く違った意味でフランス映画「みんなフィデルのせい」を思い出した。


夜は瞬悠庵で「8月のクリスマス(韓国版)」を観た。グッと来ます。

2012年4月29日日曜日

毛呂先生を見舞ってから上野・浅草界隈を散歩

  




 

浅草寺本堂


浅草寺より見るスカイツリー

浅草寺界隈
 午前中、太田市内にある八休苑に入所している毛呂先生を見舞った。80代半ばなのでどんな調子かと心配しながら尋ねたが、なになに元気な様子で安心した。「こういう所に長くいるとよけい悪くなってしまうので自宅へいつ帰ろうかと考えている」そうだ。「文藝春秋」「脳を活性化させる100の方法」などの本を脇に置き、太田市の広報を読んでいた。
 来年は我々教え子の還暦同窓会だ。そこに小此木智先生ともども来ていただき、「還暦後の生き方」の話しをしてもらう事になっている。「弔辞を頼むよ」なんて言わないで欲しい。

 午後からは連れ合いが友人の結婚式に澁谷に行くので、一緒に来て欲しい、ということで東京行き。披露宴の間、東電OL殺人事件の舞台となった澁谷の丸山町付近を散策、その後、上野に回り浅草寺界隈まで歩き回った。
 下町の活気はいいね。ウィンズの雑踏と道路を隔てた映画館でのヤクザ映画3本立て、ポルノ映画3本立てなどは数十年前を思い出させる。
 昼間から軒下に店や屋台を広げての酒盛りなどを見ていると、お江戸の時代もあんな風だったのではと思えてくる。
 八つぁん、熊さん、花子さんが今に生きている。

2012年4月28日土曜日

白い猫でも黒い猫でも消費増税を阻止する猫はよい猫だ

小沢一郎民主党元代表に対する無罪判決が東京地裁で下された。この件に関してはうんざりと言うしかない。
小沢が好きか嫌いかを争点にして国民を巻き込み、この数年間大々的に繰り広げられてきた大茶番劇でしかない。時間のつぶし方としても最低なやり方と考える。
 自民党幹事長を経て、数々の政党を作っては壊し、生き延びてきた小沢自身が身綺麗な政治家などと考えている人がどれだけいるというのか。その過程で政治の悪の部分を知りすぎてしまった小沢は敵が多すぎるためこのような事態に追い込まれてしまったのだ。


もう裁判について語る気もしないが、裁判員制度導入と同時に改正された検察審査会制度も市民感覚をうたい文句にした一種「魔女狩り」の一面を持つ。
その辺の兄ちゃん、姉ちゃん、おっサン、おばはんをまるで正義を語る資格を持つ裁判官や検察官にでもなった気分にさせる悪趣味を実際にさせてしまっている倒錯の制度で、罪深い制度だ。


 しかし、今、小沢一郎の使い道は極めて重要だ。消費増税に突っ走る野田政権に増税阻止でぶつかっていくその力を持っているからだ。こういう力を現在持っている人物は小沢一郎しかいない。
頼むよ、いっちゃん。形だけ身綺麗で、何も出来ない口先政治家など吹き飛ばせ。


極端な格差社会をそのままにしておいて消費増税などもってのほか、300兆円の内部留保金を持つ大企業から拠出させればいい。


 白い猫でも黒い猫でもネズミをとる猫は良い猫だ、と言った鄧小平の言葉を思い出す。

2012年4月27日金曜日

小林一茶「おらが春」から読み解く窮地の生き方

昨日は午後5時から伊勢崎プラザアリアで司法書士会伊勢崎支部(会員37人)の総会、同じ場所で6時から玉村町管理職の歓送迎会そして6時30分から玉村町文化センターでの安保教授による「小林一茶の人生と文学」の講義というわけで、歓送迎会にはちょっと顔を出す程度だった。


一茶の人生は辛酸を極めていただけにそれは深い味合いがある。
一茶、52才での初めての結婚を「五十聟(むこ)天窓をかくす扇かな」と照れも含めて歌を詠む。そして54才の時生まれた長女さとをはじめ4人の子を持つがいずれも病気や事故で早世、加えて妻菊までもが37才の若さで死んでしまう。
そのような中で書かれたのが「おらが春」1819年元旦から歳末に至る1年間の日記体文集で、当時一茶57才、長女さとは愛らしく彼の生涯のうちで最も幸福な時だった。そのさとが同年6月病気で死んでしまう。
「露の世は露の世ながらさりながら」「目出度さもちう位也おらが春」となり最後は「ともかくもあなた任せのとしの春」という句で結ぶ。
この「あなた任せ」の意味を安保教授は、「一茶は誹諧を通して自ら言い聞かせ、励まし、立ち上がろうとしている人生の達人の業」と説明する。


(青春が幸福に値するのは美しいものを見る能力を備えているからだ。この能力が失われると、慰めのない老年と凋落、つまり不幸が始まる。美しいものを見る能力を保っていれば、人生は老いない。)の言葉をヤノーホ「カフカとの対話から引用する。この調子だから、いつも満員の盛況。

2012年4月23日月曜日

こういう機会がないとなかなか行きません。多胡碑と鼻高台

 大学時代の学友が大挙群馬に結集し勢いよく・・・、と言いたいが数人とは寂しい限り。秋山局長と私、群馬の宴会幹事としては今回は失敗だった。しかし、せっかく横浜から来てくれた鷲巣君には真心込めての接待で、来なかった連中の鼻をあかしたつもりだ。新緑の群馬はエエド、エエド。
土曜日は秋山局長の軽自動車に長身の鷲巣が体を折り曲げるようにして乗り込み、妙義山を案内、しかし霧にむせぶ観光だった。夜は少人数でなければ出来ない有意義なひとときを送り、そして日曜日。
 高崎市内の鼻高展望花の丘に行き、菜の花エコプロジェクトを推進しているNPO法人の代表からの説明を受けながら花咲く一帯を散歩、各人の住む地域づくりの参考になるひとときだった。 その後、吉井町の多胡碑まで行き、古代朝鮮と日本の関係を改めて考えさせられた。朝鮮からの渡来人なくして古代日本の進歩発展はなかった。その渡来人は朝鮮に帰った訳ではないから、今の日本人は当時日本に生きていた人々と渡来人(朝鮮人)の末裔といえる。朝鮮人差別はご先祖様に対し唾を吐くようなものだ。 おおらかな時代に想いを馳せ、これからも生きていこう。


鷲巣君と別れた後、夕方からは高崎市内で角倉邦良県議の県政報告会。予定していた細野環境大臣は急遽、公用のため来れなかったが、角倉県議の政治活動を後押ししようと大勢が参加した。群馬の県議の中でも行動力と中央政界の主要人物との人間関係の太さはピカ一だ。顔の広さもさることながら、キチンと庶民の気分を掴み、行動しているところがいい。
八ツ場ダムの問題や脱原発に関しての動きは高評価だ。

2012年4月21日土曜日

「記憶、反省そして友好」の追悼碑前での追悼集会

 戦前、日本が行った朝鮮人に対する強制連行と強制労働に対し、猪上さんたち有志が懸命の努力で建てた「記憶、反省そして友好」の追悼碑前での9回目の追悼集会が行われた。
高崎市岩鼻町の「群馬の森」の中にある碑は、曇ってはいたが、新緑の森の中、くっきりと映えていた。
私自身、この集会に参加し始めてもう5回目になるだろうか。
角田義一さんや在日韓国、朝鮮人、群馬朝鮮初中級学校の生徒、支援の日本人総勢100人を越える人たちが集まった。国労高崎唐沢書記長、角倉邦良県議も参加していた。角倉とはこの1週間で3度目だ。明日も会わなくっちゃ。
 日本は侵略戦争と植民地政策という戦前の過ちを二度と繰り返さないということ、当時の軍隊内慰安婦問題を認め、謝罪と賠償をキチンと行い、未来に向けた友好関係を構築しなければならない。それは被害者側の思いを理解してはじめてこの問題は解決に向かう。加害者側が勝手に矮小化してはいけない。
 日朝関係の改善は野田政権のもとでは何の進展も期待できない状況だからこそ、草の根民衆のこうした交流がどうしても必要なのだ。


 同じ時間、玉村町勤労者センターで行われた「玉村町再生可能エネルギー研究会」の発足集会には1時間ほど遅れて参加した。こちらも脱原発社会を目指す運動体になることを期待したい

2012年4月20日金曜日

木嶋佳苗と渡辺泰子

13日、首都圏連続不審死事件で、百日に及んだ裁判員裁判の結果、木嶋佳苗に死刑判決が言い渡された。
 私はそもそも裁判員制度に関しては一貫して反対しているがここではそれには触れない。
 この裁判の特徴は、直接証拠がないなかで、極めて怪しいという状況証拠の積み重ねで死刑判決に至ったということ。和歌山毒入りカレー事件の林真須美の判決と同じだ。< 死刑の重みから考えると、いかにあっても状況証拠だけでの死刑判決はいけない。


この事件と裁判の特徴は「カナエギャル」と言われるほど女性傍聴者が多かったこと。20代後半から50代くらいの女性がこの事件に大きな関心を持ったということだろう。
東電OL殺人事件の渡辺泰子の場合もそうだった。
 木嶋にとって男は金づるでしかなく、愛されようとか結婚とかは考えもしない。
渡辺の生き方も徹底的に自分の体と精神を貶め、何の迷いもなく奈落の底へ向かうその「見事さ」に女性達は、木嶋佳苗、渡辺泰子はもしかしたら別の自分かもしれない、と直感したのかもしれない。
 現代の「愛情で結ばれる男女」という表面上の幻想世界を徹底的に破壊し尽くすそのすさまじさに、同性として、反感と共感を覚えているのだろう。
男と女にとり、「女にだまされた」「男にだまされた」そしてそれを煽る周囲の人間の存在という話は古今東西山ほどある。
 男と女は欲望のぶつけ合い、くんずほぐれつの関係でここまでたどり着いた。それが人類史の一面だ。決定的な事件を回避する能力を発揮してここまできたのだ。回避に失敗するとこのようなことになる。
 誰もが持ち合わせている善と悪、美と醜を見事に露わにし、上っ面だけの現代社会を吹っ飛ばした女性と言えるだろう。

2012年4月18日水曜日

一粒の麦、地に落ちなば(求道の人 角田儀平治)上映会











見応えのある作品だった。
群馬県民会館大ホールでの上映会には多くの参加者があった。連合群馬関係者が駐車場係をし、また角田さんなんかの選挙に出るのかいな、と思えるほどの熱気があった。角田義一さんの人気もあるが、やはり激動の時代を真っ直ぐ生ききった父・儀平治先生への思いが強くあるのだろう。
 観る前は、息子(角田義一さん)が作った父親の映画ということで、甘い評価をしていたが、いやいやすごく良い内容だった。群馬県の歴史の一時期を明確に描いていて歴史的作品といっていい。
 儀平治さんは戦前、侵略戦争に反対して治安維持法により逮捕されるが、その背景にも触れ、戦後の妙義山の米軍演習場建設反対運動を猪上輝雄さんに語ってもらっているなどドキュメンタリー仕立ての作品になっている。
 群馬県知事選出馬、連合赤軍事件の森恒夫、永田洋子の弁護士を受けた心境なども出てくる。
「日本国憲法は法律用語で書かれた福音書」という言葉は印象的だ。

 当時、高崎経済大学で「圧殺の森」を闘った元学生たちの顔もあり、塚越紀一さんや小川晶さんなど多彩な参加者の姿もあった。
  
 次回は5月24日(木)午後6時~高崎シテイーギャラリーで上映される。

2012年4月17日火曜日

原発の全停止は国の集団自殺か。

仙谷由人民主党政調会長代行が講演の中で「原発を止めた場合、経済と生活がどうなるか考えておかなければ、日本がある意味で集団自殺をするようなことになってしまうのでは」と発言した。
 野田政権は、原発推進、原発輸出を未だ追求している。その立場からすると、この夏、原発なしで電力供給が間にあってしまうと、原発は本当に不要なものとなってしまうので、しゃにむに再稼働させて、原発の不可欠性を国民に浸透させようとしている。
しかし、今求められているのは、原発事故対応だろうに。それがなされもしないうちに再稼働し、また事故が起きたらもうアウトだろう。深刻さが感じられない。
 仙谷由人はすでに弱者の味方なのではなく、財界ブルジョワジーの手先になり、福島原発事故により地域が崩壊しようが、日本全体の経済を考えれば原発による電力の安定供給が優先すると言い切るまでに落ちぶれてしまった。
 まさに原発事故被害者と被災地域を切り捨てても経済を優先することをあけすけに主張する姿は、痛ましいばかりだ。
 原発事故収束に向け、危険覚悟で日夜働き詰めの原発労働者のことなど全く眼中にないその姿勢が許せない。
 地震の活動期と合わせ、放射性廃棄物の最終処分についても全く展望すらない無責任な状況での原発維持推進は正気の沙汰とは思えない。
 日本列島を取り巻く形での54基の原発の配置こそが、国の集団自殺装置にさえ見えてくる。

2012年4月16日月曜日

安保博史教授の話す与謝蕪村論は深い

第2回目の玉村遊学塾は与謝蕪村篇、1716年摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬村)に生まれた蕪村は、親の愛情から隔てられた環境にあったためか、十代後半、毛馬村を出郷、死ぬまで帰郷しなかった。

 春の海ひねもすのたりのたりかな 

離郷数十年間、蕪村は自分の故郷や父母兄弟のことを封印し語らなかった。「書けない」「書いてはならない」過去の事実が、彼をきつく縛っていた。
 しかし、老境に入った蕪村は故郷への封印を解くように郷愁と孤独、表裏する心情を描いた。

 花茨故郷の路に似たるかな(59歳)
 かなしさや釣の糸ふく秋の風(59歳)
 去年より又さびしいひぞ秋の暮(61歳)

その蕪村が62歳の時、帰郷する若い女になりかわり書いたのが「春風馬堤ノ曲」18曲。
 春風や堤長うして家遠し
 むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
 矯首はじめて見る故園の家黄昏 戸に寄る白髪の人弟を抱き我を待つ春又春 等々。

 蕪村は「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」の句を最後に1783年2月25日、「眠れるごとく臨終正念にして、めでたき往生を遂げた」。享年68歳。

 その蕪村が我が友と認めたのが出生に秘密を持つ上田秋成、そして安保先生の話は現代に続く。芥川龍之介の人となりを紹介し、「点鬼簿」「或る阿呆の一生」「河童」の意味を話す。
 いかにも授業をしているようで、途中、文章を読みながら「はい、ここは赤線ですねえ、ここは傍線」などと言ってくれるから大学の講義を聴いているようだ。
 藤沢周平「半生の記」から弱者を見る眼、死と再生を語り、ニートの若者の大量発生(85万人)の現状に対し、「希望学」の提示までする2時間あまりの講演はなかなか深みがある。
 
それにしても、かなりの資料を頂いた。一晩では読み切れないが、なんとしても読み込みたい資料だ。全く贅沢なひとときを頂いた。

 次回は26日午後6時30分から玉村町文化センター研修室3にて、また行きますよ。

2012年4月15日日曜日

原発の再稼働はないでしょう、野田政権

関西電力大飯原発3.4号機(福井県おおい町)を巡り、野田政権は再稼働が妥当と判断した。
 民主党政府は福島原発事故で現地がどのような状態なのか理解しようとしないようだ。収束から廃炉まで今後どれだけの困難が伴うかを考えたとき、全く無責任な対応だ。
福島の広範な地域が途方に暮れているというのに、電力推進派、電力供給側の意向に沿う形でしか政権運営できないとはあきれ果てる。一体誰の代表なんだ。人民大衆の命はどうなってもいいのか。
 又、現在の経済困難な状況での消費増税などもってのほかだ。
300兆円にも及ぶ大企業の内部留保金から一部をはき出させる制度に転換すれば、消費増税など要らないし、また経済循環もよくなる。極端に所得が減っている中での増税など愚の骨頂だ。
 この体たらくでは維新勢力に取って代わられてしまいかねない。
民主、自民、維新、危なっかしさはどっちもどっちなので弱ったもんだ。
 全く逆側からの政治勢力の登場が求められているといえる。呑気に枯れていられない。

2012年4月13日金曜日

満開の桜のもと、諸行無常の響きあり

散歩コース東部スポーツ広場の桜も満開ということで仕事に行く前、カメラ持参で利根川沿いの公園を歩いていると、二人連れがこちらの方に来る。
今年還暦の先輩同業者夫妻だった。仕事前に夫婦で桜見物とは粋なこと。
で、「お互いもう退職年齢ですねえ」と切り出すと、それは誰も同感なのだろう。同級生の兄が倒れた、また他の彼が病気でかなりやせちゃった、などと健康問題に話の傾向がいってしまう。

 ほんの一時の満開桜はもう散り始めている。
 散る桜、残る桜も散る桜、などと感慨深くなってしまうと生きる積極性が萎えてしまいそうになる。いつか萎えてくるのも自然なものとしても、もうちょっとギラギラで生きていたい。
「ザッツ・エンタテイメント」で夢のような演技をしている役者達も今はいない。
「無言歌」で描かれている中国1960年、文化大革命の前に右派として歴史に飲み込まれた名もなき民も今はいない。
 あがいてみてもはかない、はかない。
〈願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ〉西行法師

 満開桜の散る姿 諸行無常の響きあり



2012年4月11日水曜日

ヒマラヤ杉の伐採に向けての神事

もう50年は経っているのだろうか。
母親宅の出入り口の真ん中に位置してしまったヒマラヤ杉を切り倒すことを母親をはじめ圧倒的多数の親族(何人もいないが)が主張していた。
 守旧派の私は、父親の植えたものでもあり、出入りに注意をすることになるので、むしろそのままにしておいた方がいいと主張していたが、とうとう母親の死去を期に切ることになった。
 依頼した五料産業の土田社長が「お払いをした方がいいですよ」と言い出した。何かあると困るから、ということだが、普段は無神論者然とした彼が言うのだから何か思いがあるのだろうと、いざ玉村八幡宮の宮司にお払いを頼むに至った。
 確かに50年もおつきあいしてきた大杉の命を絶えさせるのだがら、惜別の思いを大杉に伝えたい、というわけで気心の知れた梅林宮司の登場となった。
 午前8時から、かしこみ、かしこみ、と懇ろにお払いを頂き、我が家と五料産業の無事を祈って頂いた。
 もうすぐあのヒマラヤ杉の姿がなくなると思うと寂しい思いだ。
一方、出入りの際、この杉の木に車を接触させた人が結構いたことも事実だ。
 最後の被害者が神主さんになるとは、神も仏もありゃしねえ。一寸先は闇だねえ。

 吉田拓郎の曲の一節を思い出す。
「これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか、信じるものがあったとしても信じないそぶり」

2012年4月10日火曜日

新年度がいよいよスタート、そして朝鮮の衛星打ち上げ

昨日、小学校、中学校の入学式が終了、学校現場でもいよいよ新年度が始まった。
子どもたちが生き生きと学べる環境を是非ともつくっていきたい。
それには、教員が生き生きしている必要があるが、どう見ても萎縮しているように見えてならない。規律重視の教育なんて吹き飛ばせ。

 在日朝鮮人の友人から電話があった。明日から2週間ほど共和国へ行く、という。
土産は成田空港で没収されるおそれがあるので、帰ったら土産話をしてくれるそうだ。
 考えてみれば、朝鮮にとっては今は「慶事」なのだ。
人工衛星だかミサイルだか知らないが、お祝いの意味も含めて打ち上げるということだろう。
 日本国内ではまるで戦争でも起きるかのように政府、マスコミが騒ぎ立てている。
3年前もそうだった。
 日本社会の原発事故、大失業と格差社会、そして大増税への怒りの矛先を外のそれも小国の北朝鮮へと向けさせようとしている企みを見破る必要がある。
もう2度と戦争への道は拒否するぜ。

 歴史的に大国支配の犠牲となってきた朝鮮は、特に植民地支配を受けた日本をはじめ、直接交戦したアメリカ、韓国からの政治的、軍事的圧力に対しては決して譲歩しない。

 1回目は津軽海峡上空(1998年8月)、2回目は日本海北方上空を通過(2009年4月)、いずれもどこの国にも属さない公海上空だ。今回は黄海から東シナ海上空を通過するとされ、周辺諸国の安全に配慮している。
 韓国が2009年8月と2010年6月に打ち上げた人工衛星(いずれも失敗)は東シナ海の北方を軌道としており、今回の打ち上げ予定軌道とほとんど同じだ。
そのとき、日本政府は韓国政府に対し、打ち上げ中止を要求せず、ミサイル撃墜態勢も取らなかった。

 朝鮮との関係で、お互いの目線を合わせての対話ができない事態になってしまった原因は、歴史的に見て日本にあると考える。これを打開することに力を割くべきだ。
 朝鮮の人工衛星打ち上げを、国内的な戦争準備の具にされたのではたまらない。
 衛星を花火にしてもらえればそれに越したことはないが、とにかく打ち上げが成功裏に終わることを願うのみだ。

2012年4月9日月曜日

高崎映画祭終わる

65本の映画を一挙上映するのだから相当なエネルギーを要する事は事実だ。
作品もいろんな観点から選ばれているので好評なようだ。
かなりの人数の常連もいるようで彼ら彼女らと会うだけでも、また1年をそれぞれの形で生きてきたことを確認できる。
「歴史は女で作られる」は全く手の込んだ作品で、1度くらいでは消化出来ない。
高崎という身近なところで普段観ることのできないこれだけの作品を鑑賞出来るだけでも有り難いこと。
関係者には頭が下がる思いだ。
結果16作品を観る事が出来た。

午後からは、玉村町文化センターでアクテイブシニア遊学塾、県立女子大安保博史教授の「俳句で学ぶ人生の生き方・感じ方」と題しての全4回の講演の1回目。
最初は松尾芭蕉だ。
   山路きて何やらゆかしすみれ草 芭蕉

 (諸事のものに情あり。気をつけていたすべし。不断のところに昔より伝い残したる情山々あり。)
芭蕉、最晩年の言葉
 ゆえに、不断の所(日常)こそ感動の宝の山なのです、とこうなる。

第2回 4月15日(日)午後2時から4時まで 蕪村「春風馬堤曲」を読む

第3回 4月26日(木)午後6時30分から8時30分
一茶「おらが春」を読む

第4回 5月10日(木)午後6時30分から8時30分
  子規と報国

 いづれも玉村町文化センター研修室3

2012年4月8日日曜日

土曜日は一日中、高崎映画祭

高崎映画祭、「竜馬暗殺」「われに撃つ用意あり」「黄色い星の子供たち」「サイタマノラッパー」の4本立てを午前10時から午後9時までかけて観たが2本目は半分ほど眠ってしまった。
8時間以上座っているのだから結構体力もいる。

「黄色い星の子供たち」は1942年の実話をもとにした映画。
ナチスによるパリ市内でのユダヤ人の大量検挙と大量虐殺への過程を、それに協力する当時のフランス政府と警察を合わせ登場させ描いていく。
「未来ある子どもたちこそ消せ」とはヒトラーの方針、ひどいものだが、ナチスによるユダヤ人狩りからユダヤ人を守り抜いたフランス人もたくさんいたことも描いている。
 このような映画がいくつも作られていることはさすがヨーロッパという感じだ。
ナチスの罪を忘れてはいけない、繰り返してはいけない、という強い意志が社会に通底しているのだろう。
 そこへいくと我が日本、「南京大虐殺はなかった」などということに対して学者やメデイアがキチンと反論し切れていない。
「大虐殺の事実は学問的に確定していることだから言わしておけばいい」という姿勢ではいけない。
悪質な保守派は学問、学者さえ侮辱の対象とし(橋下市長の発言をみればよくわかる)、一般大衆の意識を獲得できればいいというファシズム運動として展開してくる。
だから日本帝国主義の蛮行を徹底批判する映画が作れない。
やはり革命を経験していない社会の不完全さなのだろうか。
批判が天皇制まで届かないのだ。へなへなになってしまう姿がわびしい。

 昼は近くの広場での春まつりの会場でタイ料理を食べたが、風が強く、売り上げは期待できないようだ。しかし、映画祭と相まって、花見をしながら色んな店で賑わう広場での一日もいい。

 帰りがけにメールが鳴った。「あなたの車、駐車場で見たよ。高崎で映画終わったら店に来てください」とは中国スナックの娘さん、さすが目がはやい。
 当方としては獲得目標がないので、年に一度くらいでいいでしょう。

2012年4月6日金曜日

高崎映画祭「しゃんしゃんしゃんしゃしゃしゃんしゃん」と鬼ロック











鬼石町の魅力を引き出したい、との思いで製作された藤橋誠監督作品「しゃんしゃんしゃんしゃしゃしゃんしゃん」の上映が高崎シテイーギャラリーで行われた。
 群馬県民を対象にしたオーデイションで出演者を決定、「まち映画」の旗手として人気の高い藤橋誠監督が2年かけて制作したものだが、鬼石商工会なども力を入れ、鬼石の町おこしの起爆剤としての映画でもある。
 その映画が高崎映画祭の期間中、藤岡市のみかぼ未来館と高崎シテイーギャラリーの2会場で上映された。
さすが志尾さんの目の付けどころはいい。
 私自身、2度目の鑑賞だが、1度目とはまた違う観点から観ることが出来た味合い深い青春映画だ。
主題歌「鬼ロック」を作ったRaiji &Chipsのコンサート付きというのもよかった。
本当、音楽も含めこの映画いけるよ。Uチューブで鬼ロックは聴ける。
 
 当然、秋山局長も参加となれば、「鬼石町の町おこしの映画を上映してくれた高崎市に礼を尽くしたい。」ということで夜の柳川町に流れ込む。
 1年ぶりの中国スナックだが客はひとりだけという状況に歓迎を受け、そこはお人好しな関口ケアセンターを入れた3人組、「私の誕生日がもうすぐだから、ワインで祝ってくれる」と言われれば「いいよ、いいよ」で夜も更けた。

 今日は風も強く寒い中、昭和村の議会議員全員とゴルフとグランドゴルフでの交流会、昭和村からは副村長他幹部職員も参加した。
 打ち上げの懇親会も終わり帰ろうとする昭和村の幹部からそっと一言、「石川さんのブログ拝見しています」と。
  思いを共有してくれる人が少なからずいると思うと益々自由に生きちゃうぜ。

 【汝の道を行け、そして人にはその言うに任せろ】

明日は9時から群馬会館で〈原発を考える連続学習会〉
 「福島の子どもたちと医療。内部被曝・低線量被曝」と題し田島さんの他館林厚生病院医師の布施幸彦さんも講演する。

2012年4月5日木曜日

一粒の麦、地に落ちなばー求道の人 角田儀平治











角田義一さんの父親・角田儀平治先生の人生が映画化された。
治安維持法で検挙されるなどの困難を乗り越えて、キリスト者として民衆に尽くす一生を描いたもので、大いに見応えある作品になっていると角田義一さんは訴える。
 当時、国家総力戦の名の下に軍事化した時代を、若き儀平治は、労働者、朝鮮人など社会的弱者のために、布施辰治弁護士らとともに合法・非合法の両面にわたり救援活動を続けていた。
鉄と火の厳しい時代を民衆とともに生きた姿が映像でよみがえる。
 角田儀平治先生が追求した社会とは裏腹になっている今日だからこそ、私たちはこの映画を観て、もう一度生きるということを再考する機会とすべきだろう。

 企画・制作 角田義一 監督・脚本 池田博穂 主演は真延心得

 4月17日(火)午後6時 ベイシアホール(県民会館)小ホール
 5月24日(木)高崎シテイギャラリー内コアホール
  チケットは1000円
  問い合わせ 角田義一法律事務所 027.234.2321
 
昨日の高崎映画祭上映作品「ヤクザガール 二代目は10歳」は楽しめた。こういうのもいいよね。

2012年4月4日水曜日

したたかにしなやかに抵抗の日々

「したたかに しなやかに」とはかつて佐高信さんから本にサインして頂いた時の言葉だ。
今日一日の予定を記す。
年のせいだろうか、最近は朝も早く起きてしまい、6時前から約一時間利根川沿いを散歩する。今年は寒さのため、桜のつぼみもまだ固く、花が咲くのはいつになるやらと言ったところ。
 新聞は読売、朝日、上毛、東京を読む。その都度、読売、朝日は断っているのだが、販売所側も何とか継続を、と品物攻勢をかけ、連れ合いのせいにしては悪いが断れなくなってしまっている。では少しでもまともな東京新聞も、ということで4紙購読。つきあいで赤旗新聞も見ているので朝は忙しい。聖教新聞も何回かつきあいをしたが、性に合わないので1月も購読しなかった。

 東京新聞で「この道」と題する瀬戸内寂聴の連載が載っているがこれを楽しみに読んでいる。大杉栄と伊藤野枝を中心に綴っているのだが、非常に興味深い。
大杉とともに28歳で憲兵大尉甘粕に虐殺されるというすさまじい野枝の死に方に瀬戸内は強く惹かれたという。青鞜の時代から書き綴る。
大杉は当時「フリーラブ」を実践したのだから、あきれるというか、すごいというか、並みの人物ではなかったようだ。
 大逆事件の際、大杉は獄中にいたので難を逃れた。外にいたなら必ずや大逆事件の渦に巻き込まれていたであろう人物、いずれじっくり彼の生き方を読んでみたい。

朝日新聞には、大阪府立和泉高校の卒業式の記事が載る。教頭が壇上と逆方向の教職員席を向き君が代を教職員が歌っているか口の動きを監視しているのだという。
国家に従順で忠実な教職員がどんな教育をしてしまったかは、戦前の軍国主義教育をみれば明らかなはずだ。色んな教職員がいることが社会の縮図である教育現場としてふさわしい。
 教育現場が調教の場と化さないためにも教育現場に余裕をと叫びたい。

昨日、角田義一弁護士から電話があり、父・角田儀平治先生の映画のチケットの件で午前中にお邪魔する。
儀平治先生のスケールは悪いけど角田義一さんを凌いでいる。
現実に儀平治先生を知っている者として上映会の成功に少しでも役立ちたいと思う。
 その後、平和運動センターに行き、5月3日の憲法意見広告への名簿を提出、その足で、4月21日午前10時から群馬の森の中にある「記憶、反省、そして友好」の追悼碑前での第9回追悼集会への参加手続きをする。

 夜は佳境に入る高崎映画祭へ。
したたかに、しなやかに抵抗の日々です。

2012年4月2日月曜日

連合伊勢崎地協20周年記念「尾木直樹の講演会」はさすがによかった。


 








テレビのクイズ番組で高校生達が「月にある山で一番高い山の名前は?」という問いに正解を出す場面を見て、会場は驚きのどよめきだったが、これではダメだ、と確信したのが尾木さん。
暗記ばかりの勉強ではこれからの時代に対応できないと考えているからだ。
ハートと洞察力を深める教育への転換を訴えた。
 昨年パナソニックの採用が840人でそのうち海外からの留学生の占める割合がなんと80㌫だったという。
勉強の内容と仕方が日本と違う。嫌々、暗記することを勉強と勘違いさせられている日本の教育の実態では、想像力も洞察力も育たないから、国際社会で通用しないと見なされてしまうからだ。
 柔らかい口調だが、内容はさすがによかった。
五十嵐伊勢崎市長、貫井玉村町長も参加した。
夕方からはプラザアリアで賑やかに20周年記念祝賀会。

 午前は、シネマテーク高崎で「東日本大震災 東北朝鮮学校の記録」を観る。
地震で使用できなくなってしまった校舎。
保護者と学校関係者は自分の食事を一日二食にして近在の日本人学校や避難所へおにぎりなどの支援をする。
しかし給水車さえ朝鮮学校には来ない。結局、全国の在日同胞の支援で生き延びて行く姿が描かれている。
 宮城県知事は、昨年は人道的配慮から朝鮮学校への補助金は出したが、今年からは、朝鮮半島の政治状況と県民感情に配慮して、朝鮮学校への補助金は出さない、とした。
 なんと言うこと、これでは朝鮮学校は人質ではないか。この程度の感性しかもてない日本人では恥ずかしい。子どもたちを等しく扱わなければならない。その先頭に知事は立つべきものと考えるが、まるでなっていない。それに異をとなえない国内世論も問題だ。
そのようなことだから、教育もどんどん形骸化し、真っ当な人間教育から離れたものになってしまう。
 尾木さんの指摘したことは社会全体の有り様への問題提起として受け止めるべきと考える。